2009-01-01から1年間の記事一覧

日本と中国は強国と接触して、中国はそれに十分有効に抵抗できず一年一年とより深くより強く欧米列強に従属させられ、侵略と分割を受けるにいたったが、日本は強国に従属しながらいち早く日本の隣邦にたいする侵略者としてあらわれ、後には極東における唯一の国になる。このような両国のその後の歴史の差は、何に基くものであろうか?

それは一概に言うのは難しいと思う。当時の国際情勢が列強の勢力均衡にあったことや、中国の進出において中国の頑固な抵抗が欧米列強に教訓を与えて、日本に対する進出の勢をそぎその政策をより穏和にならしめたこともあろうと思う。さらに小国で国内の政策…

1864年にロシアは慶興にあらわれて通商を要求したが李朝政府は一且これを拒絶した。しかし1866年正月に同国の軍艦は再び元山にきて、通商と朝鮮内地移住権を強要しますらしめた。李朝政府はこの夢求の回答にたいして為すべきを知らなかった。李朝政府がこのような難関に遭遇していたのを機会に、活動を開始したのは天主教徒たちであった。数次の大弾圧にあったが、当時の天主教徒の南鏡三らは天主教布教の自由を保障することを条件として、天主教国フランスの援助をえて、ロシアの強要を避けることを大院君に建議します。大院君ははじめには

朝鮮政府の天主教大迫害により、朝鮮から追い出されたフランス人宣教師フェロンは、ハンブルクのユダヤ人エルンスト・オッペルトと、もう一つの遠征隊を計画します。フェロンは、大院君が多年にわたる祖先伝来の古い遺物や遺品が王陵に埋蔵されていることを知っていた。そこで彼は、もしもそれらの遺品類が奪いとられれば、大院君はそれを取り返すために、キリスト教徒たちに対する迫害を停止することに同意するにちがいない、と考えた。オッペルトは、陵墓に蔵されている財宝の話に興奮したらしく、その計画に同意した。そこで彼は、アメリカ人のジ

オッペルト自身は、のちに書物を出版しこの遠征について、彼はその中で、遠征の目的が略奪にあったことを認めている。

下記はF・A・マッケンジー「朝鮮の悲劇」の序の全文です。彼はカナダ人、ロンドン・デーリーミラーの記者として1904年と1906年の2回韓国を訪れている。この本は1908年(韓国併合の2年前)に出版されたものである。ジャーナリストの目で見た韓国併合に至…

歴史の修正

歴史を修正して現状を不可避な必然であったのだという肯定する歴史観は、そこに到達したプロセスがいっさい無視される。つまり歴史においての選択肢があったことは、無視される。日常の思考の多くは、まず選択肢を自分で作り出すところから始まるのに。歴史…

アー・ソウ

殿様たるもの、下々に対して、公平・平等に扱わねばならず、甲というお付きに、笑顔で五分間話せば、乙というお付きにも、笑顔で五分間話さなければならないが、そのようなことは到底不可能である以上、差別なく公平・平等に扱うためには、いかなる場合でも…

>日本統治後は各種産業が右肩上がりの伸びを示したので米などを輸出しても飢餓状態にはなりません。実際問題、人口もGDPも右肩上がりですから。

日本統治から朝鮮における米の生産高はいくらか増加しているにかかわらず、朝鮮内での消費量は絶対的に減少しており、一方、日本への輸出は、五〇万石から八七〇万石へとめざましく増加しており、とくに1931年以降は、全生産高の約半分が日本にはこぼれてい…

>ないですな。日本統治前の朝鮮半島には産業どころか貨幣経済すら一般化しておりませんけど。

朝鮮の財政展望は前途が明るい。1895年末、国王は財政顧問という割りの悪いポストに就くよう税関長マクレヴィ・ブラウン氏を説得し、数カ月後には国庫からの支払いはすべて財政顧問の承認を必要とするという勅令を発してブラウン氏の職権を強固にした。公金…

朝鮮における立法権は勅令・緊急勅令を発する天皇にあることはいうまでもないが、立法事項に関して「併合処理方案」中の「立法事項二関スル緊急勅令案」が「朝鮮ニ施行スベキ法令二関スル件」として、「併合条約」と同時に発表されます。これによると朝鮮における法令は、朝鮮人民の意思如何を問わないのはもちろん日本議会の協賛を経ることなく、勅裁による朝鮮総督の命令をもって代えると規定され、総督府官制の規定とともに総督は朝鮮における立法・司法・行政の三権を一手に把握し、朝鮮人にたいする生殺与奪の権限を行使していました。

朝鮮総督は最高の親任官として天皇に直隷しておるから、本国の内閣総理大臣、各部大臣および大審院院長らと同格である。そして軍人として日本軍部の独特な統帥権独立の原則にしたがって政治的地位において独立していた。総督の政務は「内閣総理大臣を経て上…

>明治の藩閥政治家たちに民主化への意思が希薄だったことが大きいでしょう。

わが国の場合、明治維新は国民のクーデターよって行われたのではなく、権力闘争の一環として成立した意味の方が多分にあります。だから近代化に伴う自由民権の運動が大衆の政治的意識の革新をうながし始めるや、資本主義化、工業化のために、かえって封建的…

朝鮮の固有の文学

中国の征服の結果、朝鮮の現在の状態がもたらされたのであるが、では、それ以前に、朝鮮民族の文学を持っていたであろうか。もしあったとすれば、その固有の文学はいかなるものであったろうか。この間題を解くことは、きわめて困難である。「子供や婦女子の…

朝鮮における識字率

>ちなみに朝鮮半島の国民に「読み書きそろばん」が普及し始めるのは日本統治以降。朝鮮における識字率はかなり高い。どんな小村にも学校があり、読み書きのできない朝鮮人には滅多にお目にかかれない。夕方になるとしばしば、大勢の子供たちが鮨詰めになっ…

日本人の間引き

1873年ごろより、世界的に銀価が下落しはじめ、欧米諸国では金本位制の採用が相つぎます。このような趨勢の中で、明治政府は朝鮮にたいし、1876年に日朝修好条規が成立すると、すぐわが国の貨幣を流通させて、朝鮮産出の金を買収しょうとはかります。当時、…

重光葵氏の昭和の動乱

>当時の日本の資本家階級にとっては、朝鮮半島はよい土地だったわけです。ただ、朝鮮半島に安価な労働力を求る工業政策が、大陸への侵略拠点建設と併行していたわけですね。 要するに日本は、朝鮮を、第一に本国の外郭陣地として、また中国への拡大の前進基…

農民の生活

明治四年十月のお触れで、つぎのようにいましめている。「百姓どもおおぜい子どもこれあり使えば、出生の子を生所にてただちに殺し候国がらもこれある段相聞え、不仁のいたりに候。以来右体の儀これなきよう、村役人はもちろん百姓どもたがいに心をつけ申す…

ダレの朝鮮事情

朝鮮では金貨や銀貨が必要でなかったので、金鉱や銀鉱が豊富にあったが、政府としても開発をせんかったし、ほかの者にも採掘を許可しなかったのです。これは朝鮮の金銀よって外国人の関心を王国に引き付けないためと、国内的需要も存在せんかったからです。…

強制連行被害者

>強制連行被害者は、まさに罪なくして囚われた奴隷ですね。 パンツ一枚のドロンコ、外は小雪舞う初冬。どの顔も青ぶくれ、骨と皮のガリガリ人間。強制連行された朝鮮人工員のあわれな姿だった。「テメイラ怠けていると残業が待っているぞ」。ドスのきいた現…

イザベラ・バードと朝鮮人

朝鮮に鉱物が豊富であるかどうかはよく論じられる問題である。おそらくこの国をエルドラドととらえる見方と、そもそも地中には宝など眠っていないのだと疑ってかかる見方との中庸をとるべきではなかろうか。金は個人の装飾や美術工芸にはほとんど用いられな…

カネイェフ大佐

*[王妃殺害事件]東洋的な観念によれば、故王妃は優れた教育を受けており、朝鮮のみならず、恐らくは東洋全体を見渡しても当代随一の漢字通と見なされていた。それに加えて、彼女はヨーロッパの文明と改革を、日本人の仲介を経ずに朝鮮へ導入することに、たい…

1895年ころの朝鮮家屋

朝鮮家屋の構造は、全国を通じて全く同一である。家屋はすこぶる質素で、安上がりで、酷寒にも見事に耐えるほど暖かである。 朝鮮家屋は、編み垣を組んだ上に粘土を塗りあげた方形の住居である。屋根は茅葺きか(その時はやはり粘土を塗る)、もしくは瓦葺き…

朝鮮紀行

「朝鮮紀行」 イザベラ・バード 1897年 (時岡敬子訳 1998年 講談社学術文庫) 首都の第一印象(李氏朝鮮時代)[都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路の…

飛鳥時代の海路

飛鳥時代、海路中国に渡ることは命を賭しての仕事であったと思う。なぜなら遣隋使船は、長さ約三〇メートルの木造船であったと推定される。丈夫な帆布のないこの時代には、稲わらを編んだむしろが帆に使われた。その原始的な船は、四、五十人の乗員を乗せて…

五大兵站基地

1936年ころから、平南(平壌・鎮南浦を中心とする平安南道)総合工業地区は、京浜・中京・阪神・北九州の四大工業地帯とともに五大兵站基地と呼ばれるようになった。敗戦の45年まで、大きな工場が続々と建設された。たとえば、朝鮮製鋼・三菱製鋼・鐘紡製鉄…

大陸前進兵姑基地

朝鮮人徴用の公式記録や関係文書は、敗戦直後に内務次官通牒にもとづき、全国道府県知事の極秘緊急命令書が各警察署長宛に送達されて、完全な廃棄焼却処分が行なわれたのです。よって日本政府の朝鮮人徴用の実態は、公式には記録が無くなり、その事実が日本…

中国人強制連行

富士市に中国人強制連行事件の現場があったことを知ったのは、十年ほど前である。戦争末期に計画された陸軍飛行場建設のために連行された中国人は五百四名。半年ほどの間に約一割が死亡した。しかし『富士市史』では、飛行場についてかなりのスペースをさき…

華人労務者就労事情調査報告

1945年8月15日の日本の無条件降伏以降、10月15日には、中国人強制連行と虐殺に関連して、鹿島組花岡出張所の河野ら7人が米軍に逮捕され、46年5月3日には極東国際軍事裁判が開始されました。この花岡事件は48年3月1日に、戦犯法廷で絞首刑3人を含む有…

強制連行

昭和17年春より、一兵の私は中国山東省を中心に、中共軍の討伐に寧日なき日を送っておりました。正式の作戦の一つに、労務者確保作戦ともいえるものがありました。 払暁集落を包囲し、農民を一網打尽にし、女性、老人、子どもをのぞき、残った男性全員を上級…

大本事件の真相

>戦前戦後問わず憲法では宗教の自由は保障されておりますよ。大本、ほんみち、ひとのみち、ホーネリス教会、灯台社、創価教育学会、振興仏教青年同盟、201教会,六三伝道所などなど、大きな宗教弾圧を受けて迫害と殉教のはざまで多くの信者が殺されておるよ…

立法・行政・司法の三権

>近代国家で裁判官が議会や内閣から独立していない方がむしろ問題ですが。 と言うか三権分立も知らんのか?戦前の日本には、勅令や軍令があるから、立法・行政・司法の三権が、すべて形のうえでは天皇に集中していた。帝国議会は協賛機関とされ、内閣に関す…

植民地における統治権

植民地における統治権は、全然議会が干与できなませんでした。総督は天皇の代理であって、天皇に対してだけ直接に責任をおう。総督は立法、行政、司法、軍事を掌握して法令(律令)を発し、裁判をつかさどる。しかも憲法には総督にかんする規定がない。緊急…