2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

アメリカ国民

1939年、太平洋戦争が始まるわずか2年前でも、ガソリンと鉄鋼はアメリカから日本に流れ込みつづけていた。一九三九年、アメリカは3000万バレルの石油を売ったが、これは日本が消費する石油の93パーセントに当たる。日本はガソリンの90パーセントをアメリ…

統帥権

この国のかたち」の第四巻目「統帥権」の内容を抜粋する。 司馬遼太郎は「統帥権」について、何回にも分けて書いている。彼は、先の大戦の誤りは、あいまいだった「統帥権」にあったと考えている。日本の歴史上「統帥権」があいまいに形成されて行く過程をま…

中島鉄蔵を「統帥権干犯」であると叱責する

板垣征四朗は満州事変で名を上げたが、その後の戦績は必ずしも良好ではなかった。 その最大の理由はおそらく参謀に恵まれなかったことであろう。彼の下には参謀として田中隆吉がいたが、その田中は1936年11月に内モンゴル独立指導者の徳王(とくおう)を…

アメリカのソ連援助

1941年6月ヨーロッパ大陸を席巻し残る英国と戦争中だったドイツは突如ソビエト領土に なだれ込み「独ソ戦」が始まった。 このとき日本陸軍はドイツと連携して満州からシベリアに攻め込こむ事を企画したが 2年前のノモンハン戦でのソ連軍が強すぎたイメ…

牧野伸顕日記 張作霖爆殺事件

牧野日記 <六月二十五日(前略) 午後鎌倉へ引取りたるに、午後九時過ぎ後藤子是非面会したしとて東京より自動車にて来訪あり。其要旨は、張作霖暗殺は慥に邦人なりとの確説を得たり、果して然らば実に容易ならざる影響を及ぼすべし、就ては事の顕はれざる…

対米開戦前の高松宮

[昭和天皇独白録]に於ける対米開戦前の高松宮・近衛の辞職と東条の組閣(昭和16年) 十月の初伏見宮が来られて意見を述べられた。即近衛、及川、永野、豊田〔貞次郎・外相〕、杉山、東条の六人を並べて戦争可否論をさせ、若し和戦両論が半々であつたならば、…