2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

尊皇攘夷は過度期の便法

>明治の始め頃、信州の上高地を旅した英国人の宣教師ウエストンは日記を付けていましたがその旅行記の最後に、この国の人々はやがて西洋の諸国を相手に戦争を始めるだろうと書いています、 人権無視の風潮、庶民を軽視する気風は、維新前後において、大きな…

岩倉公実記 中巻

倒幕密詔ノ實行ヲ中止スル事十月二十一日上中山忠能正親町三条實愛中御門經之ニ勅シ給フテ日ク紱川慶喜己ニ政權ヲ 泰還ヲルヲ以テ姑ク其實行ヲ視ント欲ス因テ去十四日薩長ニ潘ニ命スル所ノ亊件ハ宜ク之ヲ中止スヘシ是ニ於テ忠能薩摩藩吉并幸輔其邸ニ召シ之ニ…

明治維新とは

>大政奉還、将軍職の辞任は,徳川慶喜の自発的行動ですが無意味な行動のようにも見えます、同時に領地、領民を返納するのでなければ、いつでも戦を始めるられるわけですので、いつまでも権力を持つことになってしまいます、 武力討幕派が慶喜の排除に熱心で…

倒幕の密勅

>史家や小説家は歴史の結果を知っています、歴史の中の人達は明日の命さえも分からないのです、まず徳川家の石高を零にして,徳川慶喜を殺す事、これが倒幕派の目標です、・・・・・ そうだと思う。・・・汝、宜しく朕の心を体して、賊臣慶喜を殄戮し、以て…

益滿休之助、伊牟田尚平等をして 東下

大政奉還後に「干戈を動かすに名なし。」よって隆盛、及び岩下方平は合い計り、 「江戸に於て、彼れが施政を妨げて,其の怒を買ひ、事を激せしめ、兵端を開かしむる若かず」と同藩士の「益滿休之助、伊牟田尚平等をして 東下せしめ、以て.事を謀る。」とある…

権田直助翁詳伝

慶応三年十月十四日、討幕の內勅は薩長芸の三藩に下れり。この日、たまたま、征夷大將軍紱川慶喜は、大政奉還の奏請を爲し、翌十五日、其の勅允を得たり。爱におい て、大事は、諸藩會同の公論を以て決し、日常の小事は議奏体奏兩役に於て取扱ふこととなり、…

倒幕の密勅

この年十月四日、徳川慶喜公大政奉還を決し、会津藩主松平容保その英断を称揚して率先賛意を表し、十二日老中、大目付、目付を召して、このことを諮問す。大多数はこれに賛成せるも豊前、播磨、丹後は不満を表し、薩長両藩士等の反乱を警告せりと聞く。十四…

関東攪乱

「小島将満、落合直亮、権田直助等は、同主義のために無二の親友なり。常に往来して朝家のすいたいを嘆き、幕府の専横、外夷のばっこを怒り、いかにして王政に復し、皇威を海外に輝かそうと、日夜苦慮するといえども、微力宿意をたっする機会がない。 慶応3…