明治維新とは

大政奉還、将軍職の辞任は,徳川慶喜の自発的行動ですが無意味な行動のようにも見えます、同時に領地、領民を返納するのでなければ、いつでも戦を始めるられるわけですので、いつまでも権力を持つことになってしまいます、

武力討幕派が慶喜の排除に熱心であったのは、新たな権力を作り、これを把握するためだと思う。討幕の密勅を画策した西郷・大久保は、事実上、薩摩藩を指導していた。木 戸・広沢は、事実上の長州藩の指導者であった。指導者とはいうものの、あくまで事実上のそれであって、身分は薩摩藩士であり長州藩士にとどまる。岩倉具視村上源氏に属する下級の廷臣であった。今の秩序のなかで、いかに上昇をとげようとも、藩士は藩主をこえることはできない。岩倉についていえば、摂家をこえて、朝廷を主宰することはできない。武力討幕派のだれ一人として、全国にわたって自己の政治指導を進めうる公式の場をもたない。ここから、今の否定がはじまる。幕府そして朝廷、天皇、さらに自己の所属する藩をも否定しなければならないほどの、強い動機が生じる。今の秩序を否定しなければ、新たな権力を造出して、これを手中に収めることができない。日本の伝統的な天皇の象徴的価値をも否定することによって、「玉」を自由に操り、そこに国家建設が可能となった。つまり、明治維新とは、天皇の信仰から解放された若者らによって構築されたものです。だから伝統的価値から醒めていたからこそ、天皇を「玉」として操作し、それを原点として、若者らが支配する正当性の根拠として制度化したものです。