2002-04-01から1ヶ月間の記事一覧

大元帥として活躍

日中戦争中、天皇の言葉「近衛は不拡大方針を主張していたが、私は上海に飛火した以上拡大防止は困難と思った。・・・・・・私は盛んに兵力の増強を催促したが石原はやはりソ連を怖れて満足な兵力を送らぬ」手元にある資料では天皇の太平洋戦争において熱心…

尾崎行雄

「確実なことは、信じていたか、否かは、さしたる問題ではない」ということです。天皇が「こういった」「ああいった」だから、こうである。議論は歴史学者にまかせるとして、開戦につき証明捺印が存在すること。 全アジアの死があること、これだけで十分であ…

戦後世代の責任

半世紀以上も前の事柄に対して、なぜ戦後世代が責任を負わなければならないのか」という考え方に若い世代の中に共感する者が少なくないと思います。私も戦後生まれですから直感的にかなり分かりますが。しかし、最近でも国内では靖国神社の問題が少しずつニ…

天皇の心の内

一般的に明治憲法体制は強力な君主専制主義と基礎が根付いていない議会主義の二元構造をもち、両者は時代とともに、政治的・社会的・軍事的力関係である変化する構造をもっていた。明治専制国家を支えてきた天皇主権説が、大正期の美濃部的な天皇機関説に国…

天皇機関説を政府が否定するとは

天皇機関説を政府が公式に否定したことは、天皇が国家機関でなくなったのだから、他の国家機関との妨げとか協力といったいっさいの関係は消滅したことになる。要するに天皇が日本を統治するのだと強く主張したもので、一方的な関係しか残らない。また、統帥…

軍人勅論の凄さ

衆議院における議員の質問に対する答弁において、大角海軍大臣は次のように答弁している。 「大元帥陛下が軍を統師遊ばされる事は、憲法発布前の明治15年1月4日、軍人に賜った勅論においても明確な事である・・・・・」 明治憲法は欽定憲法で天皇が定め…

統帥権の独立過程

統帥権の独立過程この統帥権が昭和時代にはいって大問題を引き起こす原因となった。 憲法55条には「国務大臣は天皇を輔弼しその責に任ず」とあり、この責任については例外規定がなく、条文上は天皇の統帥権も当然に大臣の輔弼が必要であり、当然統帥権も大臣…

天皇の責任

明治憲法にいう「当地権の総覧者」すなわち国家元首であり、旧日本軍の「大元帥」すななわち最高責任者であり、当の存在であった天皇の名において「帝国臣民」が戦争に駆り出され、皇軍によるアジアの全死者は、まさに天皇の「名のもとに」犠牲にされた。国…

近衛メモ

東宮学問所(皇太子だけの学校)での人間形成において、歴史学者の箕作元八が教科書として献本した自分の著書「世界大戦史」が多感な少年期の皇太子・裕仁に影響をあたえた。 皇太子は学友に対して「これまでに、こんな感銘を受けた本はない。第一次世界大戦…

田中忌避発

田中忌避発言(昭和4年6月28日)昭和2年5月28日 大元帥天皇・裕仁が統帥する日本軍隊は中国・山東に出兵した。 南満州の権益を守るために、国民政府軍の北上阻止のため、満州頭目張作霖支持のため、首相・陸軍大将・田中儀一が関東軍に三東省出兵を命令した…

奥崎謙三

奥崎謙三という元日本兵が、終戦直前の南方戦線における軍内部の犯罪、隊長による部下射殺事件や戦地で追い詰められた日本軍が仲間の人肉を食べたという食人事件を徹底的に追求すべく、奥崎は、戦争などの非を認めずまったく謝罪しない昭和天皇に向かって、1…

奥崎謙三

戦争責任の現代の問題点(償いは済んでいるか、否か)日本の戦後処理の特殊な三つの事情。 第一点 連合国にとる対日占領が事実上はアメリカの単独占領であり、そこにおいてはアメリカの国益が優先されたことである。対日占領政策の円滑で効率的な遂行という…

天皇の真意は分からず

「・・・今度の敗戦については何としても陛下に御責任のあることなれば、・・・ 講和条約の成立したる時、皇祖皇宗に対し、又国民に対し、責任をとり被遊、御退位被遊が至当なりと思う。・・・・・」(木戸日記)昭和26年10月17日、木戸幸一(敗戦時内大臣)…