2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

民族政治の基本問題

日本の民族指導及び統治の理念はこの英米蘭の人種的優越に基く搾取的植民政策と異り、八紘為字の大精神に基き原住民をして各能に応じ分に従ひその処を得しめ、進んで自然に中核たる日本の聖業を輔巽するやうに導き、かれらをして大東亜興隆の栄誉を相供に享…

台湾出兵2

明治政府が誕生して、記念すべき初の兵3000余での海外遠征軍なのに、在外公館に報せないというのはまだいいとして、国人にも公示せんで、夜盗のように船を仕立ててこっそりと出ていくなどとは、無名の師というものであって、近代国家としてありうべきでない…

台湾出兵

明治4年9月、日清両国は「いよいよ和誼を敦くし、天地と供に窮まりなるべし。又、両国に属したる邦土もおのおの礼を以って相まち、いささかも侵越することなく、永久安全を得せしむべし」と、子々孫々までの友好をうたい清国と条約を結びます。ところが、明…

日朝修好条規

開港したときの朝鮮は乏しい国家財政下で、閔氏一族の勢道政治を行っていたから、一族の浪費、租税などの国家収入の横領、中央から地方までいきわった汚職などの一方貧窮生活に苦しむ一般庶民からは、相変わらず厳しい税の取立てが行われたようです。そこに…

玉を奪ふ

明治政府は、明治十六年四月六日に天皇の称号を「皇帝」と表記するとした。次いで同二十年六月九日、宮内省は内閣記録局へ「天皇」の尊称は内事に用い「皇帝」は内外に通用させるとした。そして、君主の公式称号を皇帝称号から天皇称号に代えたのは、昭和十…

国威宣布ノ宸翰、慶応四年三月十四日

朕幼弱を以て猝かに大統を紹き爾来何を以て万国に対立し列祖に事へ奉らんかと朝夕恐懼に堪えざるなり窃に考るに中葉朝政衰へてより武家権を専らにし表には朝廷を推尊して実は敬して是を遠け億兆の父母として絶て赤子の情を知ること能はざる様計りなし遂に億…

江華島事件の真相

[江華島事件の真相] 武士は主君に奉公し、その代償として領有権や俸禄を受ける。武士の奉公の最も重要なものは戦うことだから、武士の名誉も経済的利益も戦うことによってもたらされた。その意識は、明治に入っても急には変わらない。明治政府は戦功者に賞典…

陪臣浪人にても良策を申し候

幕末において不平等を問題視する批判を見出すことはないのに、後世のものだけが大いにこの問題を重要視して、当時の歴史を論じていることが可笑しいと言うておるんよ!幕府はもとより天皇とその宮廷、雄藩諸侯、また尊王攘夷たちの志志士たちが、どんなに幕…

松原久子氏の主張の要点

松原久子氏の主張の要点欧米諸国が外へ外へと出ていった時、日本は鎖国の中で何を蓄積していたのか。これについての認識が皆無であることが、欧米の日本に対する偏見の土台となっているのである。そこで私はこの書において、鎖国以降の日本の歴史をたどって…

支那事変の真相

昭和十二年七月七日, 盧溝橋事件が起こり支那事変の発端となった。日本はその後八年間、日支間の戦争を続けて、遂に敗戦降伏に終わる。初め天津における日本の支那駐屯軍梅津美治郎司令官のもとに、支那各地に居る参謀達を呼び集めて、北支に事変を起こすべ…