日朝修好条規

開港したときの朝鮮は乏しい国家財政下で、閔氏一族の勢道政治を行っていたから、一族の浪費、租税などの国家収入の横領、中央から地方までいきわった汚職などの一方貧窮生活に苦しむ一般庶民からは、相変わらず厳しい税の取立てが行われたようです。

そこに開港により対馬商人以外の日本人商人が大量に流れ込みます。彼らのほとんどが一攫千金を夢見て一旗たてようとする人々で、下記のように農商務省の商況年報(明治十三年度第四款)に述べられるわけです。

 「釜山港ハ従来対州辺無頼ノ徒移住シ生ヲ異郷二計ルモノ多ク常二韓人ヲ凌侮シ売買ノ際不正ノ秤量ヲ用ヒ彼レノ眼目ヲ晒マシテ不理ノ利ヲ豪奪スル等ノ悪風アリテ韓人既二之ヲ嫌忌スルノ念ヲ生セリ我正経ノ商人之ヲ憂ヒ百方戒飾シ是等ノ悪弊ヲ掃蕩センカ為メ商法会議所ヲ設立セシバ十三年十二月」

日朝修好条規を締結したときは、日本と朝鮮の間には、生産力の発展のちがいからいって、それほどはなはだしい懸隔があったわけではないです。

したがって日本は圧倒的な生産力で朝鮮を従属させたり、あるいはその資力で朝鮮を従属させるだけの経済的な力量をもっておらず、ひたすら、政治的・軍事的な力にたよって朝鮮を圧迫することによって、経済的な利益の追求をよりたやすくできると考えられていたのでしょう。

日本自身も不平等条約をおしつけられたはけ口を、直接欧米諸国に向けることができないので、弱い隣邦を高圧することで、欧米から庄迫される代償を得ようとする要求が政府内部の根底に流れている。これは、弱肉強食の世界をよく理解しておる貴殿には十分に分かると思うが?

たとえば、釜山開港後まもなく輸出入問題でひと騒ぎがおこります。釜山での輸出入が無税だった不合理に朝鮮政府もようやく気がつきます。

そこで朝鮮政府は、輸出入商品をあつかう朝鮮商人に課税することにしたのであるが、これにたいして釜山在留の日本商人が反対して大騒動をおこした。これにたいして日本政府は、軍艦比叡を派遣し、陸戦隊を上陸させ、軍艦も発砲演習をして朝鮮政府に抗議したため、朝鮮政府もやむを得ず譲歩してこの課税を取りけしたのである。

日本では、不当課税事件といっているが、朝鮮の近代的な国際関係への無知や無理解を利用したもので、不当なのはいったいどちらの側だったのだろうかと思うのである。

当然、欧米から押し付けられた条約を不当だと喚き散らすものは,このことについてどのように思うのであるだろうか?

朝鮮の場合、日本・中国の生糸・茶のような欧米向けの輸出産業がなく、主要輸出品が米・大豆であったために、輸入が常に輸出を上回って大幅な入超がつづき、日本が主要貿易相手国であったから、それが日本人の土地・家屋などの不動産取得や金によって、決済されることになってしまった。

日朝修好条規では、当時日本が欧米諸国にさんざん苦しめられていた治外法権居留地を、朝鮮在留日本人はもつことを規定します。日本はここに早くも、欧米諸国が日本におしつけているのと同様の不平等条約を、隣国におしつける国となった。しかもこの条約は「両国政府復タコレヲ変革スルヲ得ズ」とし、永久に朝鮮をしぼるものです。日朝の条約にもとづく両国貿易葦程では、日朝両国とも輸出入関税は無税とした。

 日朝両国とも無関税といえは、形は対等であるが、この条項を、日本は銀行券をふくむ日本の諸貨幣で朝鮮の物資を無制限に買うことができるとの貿易章程と関連させれば、経済的・商業的には、このときすでに日本は朝鮮を国内市場の一部分も同然にしてしまったので、日本商人の朝鮮に対する経済的進出は、これより大手をふってまかり通っていく。

朝鮮の金銀は、本来は無価値な日本紙幣との交換で大量に日本にもち去られ、朝鮮農民は、米や大豆を日本商人に買いたたかれる。

有力な商業資本と貧しい小生産者との取引は、たとえそれが公正に行なわれたとしても、絶対に小生産者に不利であるが、日本商人は治外法権に守られてあらゆる不正をほしいままにしたから、朝鮮の小商人と小生産者は、たちまち三井物産合名会社や第一銀行を先頭とする日本人商人のえじきにされてしまったのだ。