不平等条約

西欧強国は産業革命より政治意識も進歩して、以前に行われていた他民族や他国からの富の直接的な略奪的侵略行為が行われなくなってきた。その代わり、産業革命により商品の売り先の開拓や、資本の充実により投資先を外国に求められようになった。だから、日本もアメリカに開国させられ、日本人の国際的無知を利用して不平等条約を押し付けられたのです。ところが、明治維新政府は民人を犠牲にして、欧米諸国に追従する政策を進めた。日本には産業を興し、商品を他国に売り付けるものが無かったので、とりあえず、国力な無い朝鮮を武力と脅迫とペテンで不平等条約をおしつけたのです。当時、朝鮮は長い間鎖国政策をとっており、かっての日本のように、条約自体の拘束性が理解できなかった。朝鮮の宗主国である清国に難癖をつけて戦い朝鮮の支配を計るのです。清国も日本の対する賠償のために、欧米強国に中国国内の利権をもって借款をして、中国の半植民地の分割が加速された。そして、日本も朝鮮を独自に獲得するには、どうしてもロシアを排除しなければならんようになる。当時はイギリスもロシア拡大により、自分らの獲得した利権との争いになっていたので、日本を利用してロシアと対抗させ、その勢力の排除を計画した。