2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

超然内閣

憲法ができ、帝国議会が行われると、薩長政府は、超然内閣を宣言して、天皇の任命の元に内閣を作ります。これはあくまでも、名目であって、実際は元老の推薦により、決められますが、常に内閣は議会と対立していた。ところが、明治27年2月、朝鮮のコブ郡の郡…

アメリカ国民は団結して一つになった。

ルーズベルトは真珠湾攻撃の直後、アメリカ国民に対して、日本に対する報復を宣言した。このときの演説で、建国以来初めて、アメリカ国民は団結して一つになった。アメリカはもともと、自己主張の強いヨーロッパ人がやってきてつくった国である。ヨーロッパ…

構造汚職の体質

朝鮮戦争は北朝鮮の南進によりはじまった。一時期に韓国が滅亡的な状況になるがアメリカなどの国連軍の後押しもあって北緯38度線で休戦となる。日本経済は朝鮮特需により景気が回復する。1950年代半ば頃には国民所得が第二次世界大戦前の水準に回復した。 終…

公議政体

西郷たちによる主戦派のクーデターは成功したが、足並みは早くも乱れはじめていた。慶喜は暴発を避けるために、軍勢を大阪に入ってしまった。土佐藩は西郷の強引な手法には批判的で、朝廷から伏見の巡邏の命を下されたが、土佐藩と広島藩は出兵を拒否した。…

日本が西欧列強の植民地にならなかったのは

幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、さらにはフランスと修好通商条約を結びます。日本における外国の活動は、この修好通商条約できめられたフレームワークのなかでおこなわれたので、日本が西欧列強の植民地にならなかったのです。一般的には外国…

尾崎咢堂

尾崎咢堂 ひとらーをくびり殺せる夢を見ぬ殺すを嫌ふ我性(わがさが)に似ず 善悪を問はで勝負を問ふ国とつひに結びぬ同盟の約 懲(こ)りずまに又も踊りぬヒトラーが吹く笛の音(ね)に心狂ひて 国民の落行(おちゆ)く先の思はれて冬の長夜もねざめがちな…

併合条約

朝鮮における立法権は勅令・緊急勅令を発する天皇にあることはいうまでもないが、立法事項に関して「併合処理方案」中の「立法事項二関スル緊急勅令案」が「朝鮮ニ施行スベキ法令二関スル件」として、「併合条約」と同時に発表されます。これによると朝鮮に…

最後の殿様

「最後の殿様―徳川義親自伝」より 十一月に、貴族院では慰問団を北支と上海方面に派遣することになった。ぼくは尾張の人が多く出征しているので、志願して慰問団にいれてもらった。すると年少のぼくに団長になれという。考えてみると侯爵はぼくだけで、団員…

旭日旗

旭日旗は日本が海外を侵攻したときに使われた象徴です。ところが日本政府はそれを合法という理論で濁しています。また、他の国を攻めたことを正当化する人々がいます。結局侵略という評価は現在そこに住んでいる人々がするもので、他人が判断するものではな…

王妃殺害事件の資料

下記はF・A・マッケンジー「朝鮮の悲劇」の序の全文です。彼はカナダ人、ロンドン・デーリーミラーの記者として1904年と1906年の2回韓国を訪れている。この本は1908年(韓国併合の2年前)に出版されたものである。ジャーナリストの目で見た韓国併合に至…

南京虐殺

南京と通州の悲劇 昭和十三年四月の初めであつた。当時私は朝鮮羅南の山砲二五の連隊長をして居た。ある日三月の異動で、成興の歩兵七四の連隊長となった長勇大佐が私を訪ねてきた。師団司令部で行われる恒例の団隊長会議に列席するために羅南に来たからであ…

王妃惨殺事件

1894年、日清戦争が勃発し、その開戦まえ、日本人はなんの理由もなしに中国の貨物船を撃沈させ、乗っていた1200名を無残にも殺傷するという蛮行をはたらいた。その後、あのむごたらしい旅順港の大虐殺がりひろげられたのだ。日本の蛮行はこれにとどまらなか…

日本のいちばん長い日

「日本のいちばん長い日」の作中では、昭和天皇が降伏を決定した8月14日正午から、天皇自ら玉音放送で国民に終戦を知らせた8月15日正午まで、この24時間に起きた事件や人々の葛藤を描いている。しかし大事な事実が欠落している。実際は次の通りである。8月14…

昭和天皇の戦争責任

日本史(現代史)著者:纐纈 厚、出版社:新日本出版社 戦前のジャーナリズムには、天皇、革命、セックスという三つのタブーがあった。このうち、戦後に残ったものは天皇のみであった。 たしかに、革命なんて今どきありふれた言葉になっていますね。もっとも…

直隷決戦

旅順の占領は、日本軍の次の作戦をどこに指向するかの問題を提起します。伊藤首相は、清国が降伏しなければ、直隷決戦もやむをえないと決意しますが、しかし、他方では列強の動向から一、二カ月のうち終局に到ることを希望します。実際、冬季であるうえ、兵…

「一軍人の生涯」(緒方竹虎・文藝春秋新社)

「私はあまり近衛という人を信用できんのでね」と苦笑しながら、米内はたびたびもらした。 また、「このあいだ近衛が来てね、何とかしてもらわなければ、こんなことでは心配でならぬというから、すこしばかり、私の考えを話したところ、それを芦田均という代…

明治憲法

明治22年春、憲法発布せらるゝ全国の民歓呼沸くが如し、先生嘆じて曰く、吾人賜ゝの憲法果して玉耶(たまか)将(は)た瓦耶(かわらか)、未だ其実を見るに及ばずして、先づ其名に酔ふ、我国民の愚にして狂なる、何ぞ如此(かくのごと)くなるやと。憲法…

明治維新

歴史には建て前と本音がある「勝てば官軍」王政復古のクーデターで暴力によって一時的に政権を獲得したとしても、物理的強制力だけで政権を維持するのは至難のわざであり、第一日本全国の諸侯たちが、ただの源氏か平氏かわからん田舎侍に従うはずがない。た…

高松塚

奈良県高市郡明日香村に高松塚古墳があります。この古墳は江戸時代の文献には、頂上に一本高い松がはえている高松塚を、文武天皇陵であると記録している。その後いつの間にか、文武天皇陵は高松塚から200メートルはど離れた古墳が御陵に指定され、 しかし天…