明治維新


歴史には建て前と本音がある
「勝てば官軍」王政復古のクーデターで暴力によって一時的に政権を獲得したとしても、物理的強制力だけで政権を維持するのは至難のわざであり、第一日本全国の諸侯たちが、ただの源氏か平氏かわからん田舎侍に従うはずがない。たとえ、いかに近代化された武器で編成された最強の軍隊であったとしてもです。私は明治維新の三傑が日本の国益を考えて政権を奪取したとは考えていない。あくまで、自分達の野望のために、時の二つの権力の一つに擦り寄りこの権威を利用することが手っ取り早い方法であった考えただけである。このことは、彼らが独自に考えたものではなく、太古から天皇が存在した時代からの一般的な権力を持つ常道手段であって、別に珍しいことではない。このような意味で戦前も同じようなものでしょう。自分達の野望のために朝鮮戦争戦略のため軍隊の権威を高め絶対服従の軍隊をつくるのにも利用した。人というものは、おおきな権力を握ると使いたくなるもので、別に明治維新の功労者たちの特有なものでもないこともわかっている。だいたい、普通の民人が朝鮮までいき命をかけて他国で戦う理論なんて持つわけがない。当時の指導書たちの傲慢な欲望の犠牲としかいいようない。ロシアが攻めてきたらどうだからとかは、たんなるごまかしであり、指導者たちの犠牲に民人が利用されただけである。そもそも、もし、ロシアの脅威があったとすれば、その海外侵略する暇があれば、そのお金と、能力と、やる気あれば、海に囲まれている日本を守る戦略を考えることができることは、誰でもできるのではないでしょうか。どうみても海に囲まれている日本国を本気で侵略して植民地にする国があったとはかんがえられない。なぜなら、明治維新のまえから、当時の外交大使(特にロシア大使)はせっせと日本国の様子を正確に本国に報告していたことは、たくさんの文献をみればわかります。大使から本国にあてた報告書をみれば、ロシアは日本を自国の国益のために利用することは考えられるが、到底日本国を植民地にしようなんて考えられない。はなはだ疑問である。しかし、これを強調する歴史学者がいるが、このおおくは海外侵略のための大儀名文に正当性をはかったニセ学者であろう。話しをもとにもどします。
指導者たちは政権を正当性を主張するには、それを機軸とすべきものを欠いていた。全諸侯、日本民人が納得する精神的権威が必要となる。指導者たちのそうした点では、仏教も神道もおよそ無力であり、つまるところわが国には皇室しか存在しない。(この考え方が間違いのはじまり)
大久保、西郷、木戸、維新の三傑天皇親政とはあくまで国づくりという目標の前では一つの手段であった。
日本の天皇は中国皇帝とは異なり、神的性格を強く帯びるのはそのためである。天皇は権力的存在ではなく、権威的存在である。そうして初めて連綿たる皇統も可能になる。そうなると、政治権力の所在は他へ移り、支配の二重構造が生まれる。そしてこの問題は、究極のところ天皇と官僚との究極的関係に帰する。
そもそも、政府側に天皇補導の意思は希薄であった。たとえば、皇太子の教育で一時期、歴史に興味をもたれ、戦争の悲惨さを分かりかけたが、国の戦争拡大政策には邪魔になるので、元老達は無理に歴史書をとりあげ、さしさわりのない植物学を勧めたことにより昭和天皇は植物学者として有名になった。よって昭和天皇個人に対しては普通の人間としてみれば、仕方がなかったと思います。責任は自分達の利を考えていた元老達に責任があることは間違いない。
元老達が国作りを急ぐあまり、明治憲法天皇をもって不可侵として、教育勅語を道徳の源泉としたのもそのためである。
しかし、この臣民にたいする天皇を不可侵する教育がそもそもの間違いであった。
この教育こそが、いつの間にかひとり歩きして帝国主義的総力戦国家が生まれた理由であると思う。やはり、教育が一番大切なことですね。
明治維新が日本国の近代化の原動力になっとというよりも、明治指導者たちの野望が近代化を推進したと考えるほうが本来の正史ではないかと考えています。