2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

過去なしに未来はない

過去すべてのできごとを習うことにより、 自分の経験のひとつとなるから、 当然、現代の自分のあり方に影響を与えている。 人によりその習い方はいろいろである。 たとえば、何年に何が起こった、これは、だれが起こしたなどですが 私にはあまり意味のないも…

ことば

ことばは、その人の心の表れである。どんなに素晴らしい心でも、人に対して傲慢な態度であったり、ぞんざいであったりすれば、その人の心は醜く歪んでしまうものだ。

西郷

私は人というものは、時にともない、成長する人もいれば、全然成長しない人もいるのではないでしょう。どちらかを良いとか悪いとかではありません。一般的なものです。私の周りの人々とくに、家族などは、全然成長しないです。成長するのは、子供だけです。 …

天道、是か非か

「史記」の伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)の伝の最後に、作者司馬遷はいう。 伯夷・叔斉の兄弟は潔癖な人たちだった。周の武王(臣下)が殷の紂王(君主)を討とうとした時,臣下は君主を討つべきではないと伯夷・叔斉の兄弟が武王に諫言した。しかし周が…

天下の大道

天性、勝負事は嫌いで、裁判は人びとの争いを裁くため、私は法律家に適していない。ただ、公正を愛する心のみが、私を裁判所へつないでくれた*1 忠彦は、会津武士の風格を持つ公正な法律家でした。 忠彦は70歳で退官し、間もなく病床に伏します。 我々は天下…

歴史と虹と現実

私は歴史を虹とみることができません、考えれば考えるほど、歴史は醜い政権争いだけが目についてしまうのです。だから、歴史を生き地獄とはいえないですから、歴史は夢幻になるわけです。 また、歴史は常に移り変わって、とどまることがない。人間のちっぽけ…

大君制国家

大政奉還と一体になる徳川の政権構想についての考察。大政奉還 慶応3年10月14日、江戸幕府15代将軍徳川慶喜が天皇(朝廷)に政権返上をねがいでて、翌日天皇の許しをえた。江戸時代を通じて将軍は国の統治権をもち独裁的に政治をうごかしてきたが、討幕運動が…

悲惨な戦争

去年の終戦日のテレビ特集で沖縄戦の当時の模様を生々しく描いたものを見ました。その時まで、日本の戦争については、ほとんど関心がありませんでしたが、その時一番心に残った言葉が、「いやとはいえず、何のためにか解らず、手りゅう弾をもって散る」です…

明治維新に思うこと

外圧により、今までの日本の体制(門閥制度)に歪みが入り、そのひび割れから底辺に居た人々の鬱積した力が噴出してきた結果が明治維新の原動力になったのではないかと最近は考えています。しかし、体制側の人々は今までの固執した考えでは、「黒舟」という…

明治維新の課題

大久保、木戸、西郷らは幕府を中心とする幕藩体制を崩壊させたが、しかし、これからの日本のモデル、ないし、シナリオがすでに用意されていたかというとそうとは思わない。そうすると、本当の明治維新の課題はなんであったか?政権奪取のクーデターの目的は…

伊藤公の子供

稲妻強盗こと、坂本慶二郎、神出鬼没かつ残忍に殺傷するところからついたアダ名である。 彼は伊藤正隆と名乗り、八の字髭をたくわえ紋付姿の立派な風采で諸方に出没した。この紳士がひとたび強盗となるや疾風迅雷、日に48里を走ると噂され、稲妻強盗のあだ名…

竹島

沖縄さん>わし思うに、日本と韓国は気があわんので,友好関係築く必要特にないよ、韓国は中国と友好関係むすべばよろしい、日本は韓国 北朝鮮がほとほときらいになったんだよ、日本は南に顔むければいいのだ, 国が嫌いでもそこに住んでいる人々はみん同じな…

okinawatorafu2005>人知れず、ひっそりと日本海にたたづむ岩島、ただそれだけの事だったのです、 だから侵略だとか支配だとか後から付け足すのは、なまじ事を複雑化するだけですよ、事は簡単です、先に見つけたのはだれか、利用してたかの話で、つまり無主…

Akiraさん>侵略併合は100歩譲って歴史的観点から認めましょう。ただ竹島はそれより数十年も前から日本の領土です。勘違いしないようお願いします。併合以前の韓国政府の主張する自国地図に竹島は載っていません。不法占拠後の1971年に(慌てて)初め…

韓国は、昭和29年7月から現在に至るまで、竹島に宿舎、灯台、監視所、アンテナ等を設置して警備隊員(警察)を常駐している。さらに、500t級船舶が利用できる接岸施設も在る。状況から見れば竹島は明らかに韓国領だ。 春宵さん>それだけで韓国領土とは言え…

アタマ・タランチノ さん>さて、例だよ。1921(大正10)年、日本陸軍が演習という名目で所沢〜長春間の長距離飛行演習を計画した。飛行経路は所沢〜太刀洗〜京城〜長春。これは陸軍航空のみならず、日本の飛行機が外国に飛行しようというはじめての計画だった…

アタマ・タランチノ さん>で、唐紹儀のコメントは、北京政府の公式見解なのかね。北京政府は、このコメント通りに事を展開させようとしたのかね。 いいかい。退位協定は、あくまで袁と清皇室との間に結ばれた、皇帝退位後の処遇についての取り決めに過ぎな…

歴史おける犯罪の善悪

歴史においても、個々の殺人や犯罪の善悪はその当時の法により決まってくる。現代の感覚では到底許容できかねるものもある。当時のありようを現在の感覚で見ようとすれば、自分の情動的思考が入り、基本の部分で本人とはちがった人物を作り上げる。作家とは…

もちろん侵略的戦争がいかなるものかということは困難な問題ですが、しかし、大体の基本的な点についてはかなり一致が見られる。ひとつ紛争が発生したときに、これを平和的解決手続きに付託するものを拒絶すること。 ふたつその決定に服従するのを拒絶するこ…

c5525jpさん>条約を締結するのは「各国」でありその「代表者」です。どのような意図の下に締結されたかを知るためには、締結当事者の意見に徴するのが至当。あえて私の見解を申し述べさせていただくとすれば、不戦条約は国際連盟と同様、植民地体制を護持す…

【第1条】 締約国ハ、国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。不戦条約一条「国際紛争解決にために戦争に訴えることを不法とし、かつ国家の政策の手…

c5525jpさん>際関係においては、自国の防衛を自力で出来ないものは分割、あるいは併合または保護国化される。 おいおい 当時(昭和4年)は侵略的戦争は国際法で禁止されておるんだよ! c5525jpさん>どの国際法ですか?1928年に締結された不戦条約に際…

明治37年から次の年にかけて、日本とロシアとが戦った戦争は、朝鮮半島と満州の支配をめぐるあらそいでした。1904年2月に日本海軍が旅順港のロシア艦隊を攻撃して戦争がはじまり、大勢の死傷者を出しながら旅順を占領します。日本は日本海の海戦でロ…

日露戦争後の中国の行政区分について説明すると、大体次のようになる。内蒙古三省、東北四省、華北六省、華中六省、華南六省、西辺三省です。中国では奉天・吉林・黒龍江三省を東北三省または東三省と呼び、日本側はこの地区を満州と呼んでいたのです。この…

c5525jpさん>>協定を締結したこと自体、元来外国だった証明だと私は主張しているのです。では、当時の国の概念とは人が思う故郷ではなく、国同士がその政府において、お互い認め合ってこそ、成り立つのではなでしょうか。 清朝の軍(北洋新軍)の全権が与…

志士

志士たちは、みんな若い。尊皇派も幕府派もみんな若い。攘夷派も開国派も紙一重。若いということは、真直ぐであり、柔らかでもある。ゆえに、対応が異常に早い。タリバンの信徒の純粋心に基ずく行動に、維新も似ているような,,,目的がひとつあるときは、おお…

歴史の必然論や宿命論について

歴史を必然論や宿命論で正当化しても、その必然や宿命によって人に損害を与えたことを知らないことは精神的に一人前ではない。精神上の青年者ならば、必然や宿命によって引き起こされた結果について責任を感じなければならぬ筈である。歴史において無数の意…

さて、当時(昭和6年)中国の交渉の際、日本政府は満州についても「中国領土保全」のとりきめを守る立場を表明しています。昭和6年9月29日、在京中華民国公使が外務省に、満州における新政権問題にかんして、 「我国東三省地方に独立政府建設を企画する趣…

土方歳三

新政府軍は五陵郭に向かって進軍。歳三は台場山で大勝利を収めるが孤立状態になり、やむなく撤退。予め死を覚悟していた歳三は、小姓の市村鉄之助を郷里多摩の日野に使に出し遺品(写真・毛髪)と辞世の歌を託した。 孤立した弁天台場を救出すべく五月十一日額…

c5525jpさん> 歴史によって予め決定されているロシアの植民地としての朝鮮観は、フランスによって支持されていた。戦争直前の1903年に「日本の政治的経済的並びに社会的生活の諸現象」の研究に三年間を捧げたデュモラール教授は、ロシアによる朝鮮の奪…