c5525jpさん> 歴史によって予め決定されているロシアの植民地としての朝鮮観は、フランスによって支持されていた。戦争直前の1903年に「日本の政治的経済的並びに社会的生活の諸現象」の研究に三年間を捧げたデュモラール教授は、ロシアによる朝鮮の奪取を妨害する必要は日本にとって「死活の」問題であるということを発見しているが、しかし、その直ぐ同じ箇所で、「これらの問題を少々研究したものにとっては、朝鮮はロシアのものになるであろうということ、また日本人等はこれを忍ばなければなるまい、ということは確かなことである(注)。」という独断的な結論に到達しているのである。

 注)デュモラール著『政治的経済的に見たる日本』、パリ、1903年刊、299項。


ヴェ・アヴァリン著『列強対満工作史』(原書房、1935年刊復刻版、1981年7月、第二刷)、139頁より。

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そのころすでにロシアは朝鮮に手をつけて居り、強力な敵国がそこを領有することは独立国としての日本の終焉を意味するものであつた。ついで、1900年挙匪の乱の際にロシアが事実上占領した満州に手を出すこととなつた。日本はいまや退くことも、踏みとどまることも出来ない地位に立つことになつたが、しかもつねに前進しなければならないのである。

ロンドン王立国際問題研究所編『英帝国の政略と戦略』(岡田宗司訳、育生社、昭和16年3月)、261頁より。

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世界から見ても、日本にとっての朝鮮半島の意味は上記のように、「独立国として存立できるか否か」という重要性をもつ地域だったことはご理解いただけますね。



上記のふたつから「日本が独立国として存立できるか否かという重要性をもつ地域」だったことはワイの理解を超えたものです!

すまんね

ケトウのいうことをマジに信じても上記のような答えにはならんと思う。

まぁ〜ワシの理解力が悪いかも知れんが、そう思う。



主張するというのは、それを語る個人の資質に基づいている。つまり、同じ事件についても、それを語る人の個人的な事情により、まったく違った認識を持つ。

また、現在でも認識の食い違いはわれわれの身辺でも、日常的に起こることで、ましてや、当時の時代のことを述べることはなおさらのことである。

だから、語り手の経験だけにたよって、その内側で歴史を語っても、それは歴史にならない。

歴史とは、個人の資質を超えたものを語らねばならんのだ。

つまり、歴史とは、個人が思いを超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである。