2006-01-01から1ヶ月間の記事一覧

一銭五厘の命

徳川侍従長は、回想録の中でこう述べている。 天皇が統治権の総覧者から象徴へと憲法のうえでは変わったわけですが、言葉が変わっただけで、本質はそんなに変わったわけではない。殿下は同じですよ。前の考え方が間違っていたとは思っていらっしゃらなかった…

gdhb7215さん> まあ、そうだ。正確に言えば、中国本体については国民党が共産党を切り、共産党撲滅の方針を採るならば支持しよう、そしてソ連との関係を絶てば、日本は蒋介石による中国統一を支持しようというものだ。そして満蒙については日本の「特殊権益…

gdhb7215 さん>田中内閣の外交面をどう評価する? ことに幣原外交の路線を変更して、日本の満蒙の「特殊権益」を認めさせるというものだが。 外交面では田中は満蒙に関しては張作霖と、中国本土に関しては蒋介石をそれぞれの相手に交渉して権益権を委任の維…

gdhb7215さん> もちろん、極論をなす『評論家』はいつの時代にもいるさ。今の日本でも、日本の将来像をみれば、無数の提案がある。 おいおい、そんなに簡単に考えちゃいかん。今とは違い、昔は命がけなんだよ! gdhb7215さん>満蒙を経営して、移民と資源の…

gdhb7215さん> たしかに、敗戦によって放棄せざるを得なくなって、でも国は滅びなかった。 そうでしょう。 gdhb7215さん>でもこれは結果論。 第一次大戦後の日本の先の見えない状況で、そう判断しても無理ない点もあった。 当時のインテリジェントなかには…

gdhb7215さん>あなたのいう9月18日の柳条湖爆破事件は、脚本としてはしょぼいね。映画なら列車を吹き飛ばす方が絵になるけど、ここが映画と違うことろ。 別に脚本をかいているわけじゃないよ! gdhb7215さん> まさにそうで、最初から爆薬の量は極めて少…

日本軍による日本人の虐殺

1985年2月元首相の近衛文麿は天皇に戦争終結を上奏した。つまり、敗戦はもう明らかであるから、国体と国体護持を守るためには余禄のあるうちに戦争終結に動くべきだと主張したのである。近衛や木戸幸一や宮中グループ、岡田啓介や海軍長老たち、外務官僚吉田…

そもそも満州事変は昭和6年9月18日夜柳条湖で鉄道の爆破を直接の原因として起こったものです。この爆弾は今田新太郎大尉が調達して、川島正大尉の指揮下の河本末守中尉が爆破作業を担当して行った日本軍の謀略で、その直後北大営で何も知らずに眠ってい…

gdhb7215さん>蒋介石の演説を引用してどうしようっていうのかな? ただ同じところにあったので、なかなか面白いことを言っていたと思い、ついでに借用しただけです。 相手の悪事をもって、自分らの悪事を相殺して、悪事を悪事でないと強弁する論調は悪事を…

gdhb7215さん>五族共栄は本の表紙のようなもの、ページをめくると少しずつ内容がわかってくる、と私は思っております。イギリスは1911年の英清阿片協定によってインド産の阿片を1917年までに停止する条約を結び、じょじょに阿片から手を引いていった。 日本…

統帥権

統帥権というのはむずかしいので、ひとことで言えば、兵権で、軍隊指導権です。 それでその観点から、日本の歴史を見れば、兵権はずっと将軍が持っていましたからね。 ですから、関東武士は京都の後醍醐天皇よりも足利尊氏さんをおれたちのの親分だと思って…

歴史は善悪を超えたところにある

歴史で起こったことは,すべて、そうなるべくしてそうなった、流れです。 ここには、悪や善の観念より、歴史の流れがあるだけで、過去の流れは現在から未来に向かっていきます。過去の流れが残すものは疑似体験と教訓だけです。人は疑似体験と教訓で、現在起…

「私が深く悲しみとする、おの不幸な戦争の直後、貴国がわが国の再建のために、温かい好意と援助の手をさしのべられたことに感謝の意を表します」1975の秋、ホワイトハウスでの晩餐会の席上で昭和天皇が述べられた言葉。 その帰国直後の記者会見で「私が深く…