gdhb7215さん> まあ、そうだ。正確に言えば、中国本体については国民党が共産党を切り、共産党撲滅の方針を採るならば支持しよう、そしてソ連との関係を絶てば、日本は蒋介石による中国統一を支持しようというものだ。そして満蒙については日本の「特殊権益」を認めろということだ。
 田中がこの外交を決意した中国の状況はこうだ。昭和2年4月、つまり田中内閣成立直前に蒋介石が上海で、共産党と戦闘し、国共分離を声明した。この年の秋に蒋介石は来日し、田中首相と会談し、この点で合意した。ここまでは、いいですか?


はい〜

それで?


gdhb7215さん>どうせ張作霖は、この頃にほんのいうことを聞かなくなっていた。


しかし、国民政府軍が北京にせまると、結局は満鉄の懸案だった鉄道増設問題を承認し、日本に妥協したから、奉天に引き上げてきたのではないでしょうか。


gdhb7215さん>関東軍張作霖を殺害したのは、これに腹を立てたからだが。


直接の原因は関東軍の山海関出兵が突然中止された。そこで、出動するばかりになっていた関東軍は怒った。村岡軍指令官は竹下参謀に北京で張作霖を殺せと内命を受けたが、それを察した河本がやった。


gdhb7215さん>田中外交でなんとか蒋介石とは手を結ぶことができたんだから。大陸政策が崩壊するのはなぜなんだ?結びつかないじゃないか。


政府(田中)の考えは、今までのとおり張を利用にして満州の権益の拡大を図ろうとしたんでしょう。


gdhb7215さん>能天気なのはいいとして、この言葉の意味は何だ?。親は田中首相か?とすれば子はだれなんだ?


子とは「関東軍」でしょうね〜〜



gdhb7215さん>それが一番いいのは誰だってわかってる。問題は、それを当時の中国情勢かで、どう実現するかってこと。


どう実現するの?


gdhb7215さん>満州支那で、日本と一緒に提携してくれる列強ってどこ?


日本と一緒に提携してくれるかどうかは分からんが、当時の列強はイギリスとアメリカでしょう。


gdhb7215さん>満州にも日本は相当の資本を投下しているし。


満州の権益を投下しているというが、立場の相違を超えたところで、矛盾を感じるだよ!

幣原の言動を見るに、平和外交と程遠い、中国への既得意
識や特権意識に立脚するものであることにはかわりないと
思っているがね!


gdhb7215さん>幣原の何時の頃の、どんな言動だ?本当にあるのか?


あなたと同じで、満州支配の正統性を力説しているからね!


gdhb7215さん>それじゃ、浜口首相や幣原外相が、生命の危険を顧みず締結した海軍軍縮条約は評価できないのか?(浜口首相は、これで死ぬことになった)


ワシは明治維新もたいした評価はしておらんが、浜口も幣原の◎、しかも、田中も◎じゃよ。


gdhb7215さん>このころの対支政策も。大いに国民政府との関係改善が進んでいた。満州事変の後でさえ、日支戦争に至らず、満州国を実質承認させるという奇跡に近いことをやったんだ。


「奇跡」だと〜〜〜下らんね

この時代イギリスもアメリカも中国の民族運動には譲歩する政策になっていたんだよ!


gdhb7215さん>戦争を回避し、平和外交を進めていた。


そりゃそうさ

ねんから年中戦争をやられたら、たまったものではないからね!


gdhb7215さん> 政界の腐敗を批判し、要人のテロや外国で戦争を起こしてばかりいた陸軍や右翼団体なんかとは比較にならないほど、日本のためになっていた。


「日本のため」てなに!

当時、国際関係で成り立つ国際社会とは常に変化し発達していたのである。つまり、国際社会を構成している諸国家そのものが進歩した結果であって、この変化と進歩を国は常に注意を払っていなければならないのであるが、日本のように無頓着だったから日本だけ孤立したんだ。



gdhb7215さん>ひとつは相手国中国政府。日をおかずして日本との協定を無視、日本系企業の営業妨害、さらには居留民個々への圧迫財産収奪等の挙に出た。


数々の自作自演で戦争を起こしては、多くの中国人を殺して土地を略奪しておいての条約はどう考えても無効だと思うよ!

神が許してもワシは許さん。


gdhb7215さん> 政界の腐敗を批判し、要人のテロや外国で戦争を起こしてばかりいた陸軍や右翼団体なんかとは比較にならないほど、日本のためになっていた。



いかにも彼らの国家革新の熱情と天皇に対する理想が純真なもので、愛国の至誠に燃え立ち、みずからの護国の人柱たらんことを誓っていたとしても、偏狭な日本独特の独善で、排他的軍国主義のようなものであった。

少なくとも、彼らの唱えた正義は今日の平和な時代の自由と裏表をなす民主的な正義ではなかった。

だが、彼らの信念と情熱が決していい加減な一時の気まぐれであったと判断してはならぬ。

当時、深刻な農村不況と生活苦と就職難の暗い世の中で、政府はほとんど無為無策で社会不安は増大し、政党は腐敗して、疑獄事件が続出し、また、財閥は政商と結んで金もうけに翻弄して奢り高ぶり、まったくの貧富の差は驚くほど激化していた。

したがって、真面目な正義感の強い青年ほど、険悪な世相を憂え、このような横暴を憎んでいた。

とくに実行力と決断力に富んだ陸海軍青年将校たちが、日本の現状打破のために決起した気持ちは、当時の暗い泥沼のような社会的雰囲気を理解すればするほど、ワシはよく分かるような気がする。