2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

伊藤 博文

1887(明治20)年の今日(4月20日)、首相官邸で伊藤博文主催による仮面舞踏会が開催された。 伊藤 博文は、明治憲法の起草に関わり、初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長そして、わが地元である兵庫…

維新政府とイギリス

明治41年7月に、グラバーは外国人としては異例の勲二奪旭日章をうけます。 伊藤博文、井上磐の連名になる叙勲申請書草案である「維新前に於けるテー・ビー・グラバー事跡概要」に次のように明確に述べられている。 「グラバが薩長二藩のために尽くしたる…

黒田長官大砲事件

黒田長官大砲事件 明治9年(1876)7月30日、祝津沖合を航行中の時の北海道長官、黒田清隆が乗った開拓使船「玄武丸」が、実弾の射撃試験を行ったのである。 ところが、その標的である赤岩の岩頭を外れ、祝津村民、斎藤清之介氏の漁舎(現在の祝津3丁目178番地…

明治維新 征韓論

明治6年(1873年)6月森山帰国後の閣議であらためて対朝鮮外交問題が取り上げられた。参議である板垣退助は閣議にお 明治初年、政権の中枢で征韓論を首唱したのは木戸孝允であるが、この征韓論をいわば日本中を征韓論で熱狂させる役割を果したのが佐田白茅で…

明治維新 米輸出

維新以来、明治32年まで日本米を輸出して外貨を稼いでいたんだよ。 農村部・都市部ともに米食の割合が増えていく。都市部では米のみが多かったが、農村でも麦や雑穀との混合が多いものの、米の割合が増えていった。そして人口の増加と1人あたり米消費量が著…

神功皇后の三韓征伐

戦前(敗戦までの戦中を含む)の教科書では、神話をそのまま歴史として教えていた、とよく言われる。これは、確かに間違いではないのだが、正確な表現とも言いがたい。 まだ国定化される前の、初期の段階の教科書では、確かにほとんど記紀のダイジェスト版の…

朝鮮と日本

日清戦争は、日本と清国との間の戦争ですが、開戦の理由は、朝鮮への影響力をめぐっての当時の両国の関係にあり、開戦時の戦場も朝鮮国内でした。1894年というタイミングで日清戦争が勃発した原因を理解するためには、当時の朝鮮をめぐる状況そのものを再確…

五か条の誓文

五か条の誓文 ごかじょうのせいもん維新政府の政治基本方針。1868年(慶応4)3月14日、明治天皇が紫宸殿(ししんでん)で、公卿(くぎょう)・諸侯・文武百官を率い、天地神明に誓う形式で発表した。「一、広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スベシ。一、上下(しょう…

国威宣布ノ宸翰

国威宣布の宸翰 『五箇条の御誓文』が出された1868(慶應4)年3月14日、天皇自身の信条を全臣民に認識させる目的で「国威宣布ノ宸翰(しんかん=天皇直筆の文書。宸筆・親翰とも)」が発表された。 国威宣布ノ宸翰朕幼弱を以て猝(には)かに大統を…

維新の目的

維新の大目的は、世界の情勢を睨みながら、「世界万国と並立する」ことが出来る新国家の建設です。つまり「宇内之大勢」に追いつくことであり、欧米列強の世界跳梁という新しい時代情勢の中で「皇国」もって「世界万国と対峙する」ことです。同年1月の「賞典…

日本の退化

>結局は天皇を神様に祭りあげることにより、日本国の維持ができんようなる。最後には天皇が神様になられ、日本は潰れてしもたんじゃよ!動物は進化しないでいると、いずれは絶滅する危機に陥ります。国際社会は変化し発達しつつある。その基礎にある国その…