明治維新 米輸出

維新以来、明治32年まで日本米を輸出して外貨を稼いでいたんだよ。 農村部・都市部ともに米食の割合が増えていく。都市部では米のみが多かったが、農村でも麦や雑穀との混合が多いものの、米の割合が増えていった。そして人口の増加と1人あたり米消費量が著しく増加していく。だから、朝鮮の安い米が必要であった。明治33年頃からは日本は恒常的な米の輸入国になる。 米穀輸出国から米穀輸入国へ変貌し始めるにつれ、朝鮮の米穀輸出は急増した。 隣国である朝鮮の米は、日本米と同じ短粒米であることから 品質が類似したため輸入品の中でも価格が高い方で、都市市場での需要が多かった。
他国から輸入される南 京米といっても中国の南京周辺で生産されていた米ではない。 タイ米が南京米と呼ばれながら日本人の生活の中にあったが、輸送に時間がかかることから酸化が進み、その臭気が日本人には合わんかったのです。だから朝鮮米は非常に儲かる商材だから、競って輸入されのです。