2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

大政奉還と公議政体

>慶喜が主導してすんなり近代化ができたという根拠は? 旧幕府派との戦争は回避され、江戸侵攻も行われず、江戸の住民の50万人が逃げ出す混乱もなかった。近代化された海軍も温存されて、列強国がつけいる隙はなくなり、イギリス指導の薩長とちがい、広く…

小御所会議

この日京都の御所において薩摩藩を主軸とする政変が勃発し、岩倉具視が画策した王政復古の宣言によって幕府の他旧来の摂関制度などが廃絶され、新政府の発足が決定されると共に総裁・議定・参与の三職の設置が決まった。同日夜、参内した公卿・大名・諸藩士…

大政奉還

>私は徳川慶喜公が愚かだったとは思ってはいません。 近代化もしていたでしょう。けれども、その装備に優れた徳川軍は、薩長を中心とする軍に敗れたのです。 それより強い欧米各国の軍、そして国家規模の大きい清国軍に、徳川政府軍が勝てたとは考えられま…

米が本当に日本人の主食になったのは昭和時代

次の文章は民俗学者柳田国男が1954年に著したものである。 1878年(明治11年)の報告書を見ると、全国農山村の米の消費量は全食糧の三分の一にもおよんでいない。以後兵士その他町の慣習を持ち帰る者が多くなると、米の使用量は漸次増加している。とはいえ明…

井上馨の条約改正

1854年2月、ペリーが軍艦7隻をひきいて.再び来航する。すでに幕府はオランダルートを通じて情報をしっかり集めていた結果、現在アジアの現状を冷静に受け止め、すでに開国の万針を決めていた。問題はいかに有利な条件で開国を開くかにあった。開国に関して…