維新の目的

維新の大目的は、世界の情勢を睨みながら、「世界万国と並立する」ことが出来る新国家の建設です。つまり「宇内之大勢」に追いつくことであり、欧米列強の世界跳梁という新しい時代情勢の中で「皇国」もって「世界万国と対峙する」ことです。

同年1月の「賞典禄給与中止の建白書」の維新の目的が具体的に現れています。
「御一新之御盛挙(維新の目的)は、内億兆(国民の意)をして安撫、其処を得せしめ、外世界万国と並立する之叡旨にして誠に前途之目的、不容易。新之御盛挙(維新の目的)固より希有之御成業と雖も、必(畢)竟内国の事に係わり、自今海外に関渉して為将来根軸を被為定候は真に至重至大、未曾有之御事にして、前途賓に悠遠と奉存候。今日内治之国難に際し、挺身命、報邦家候は、元々志士仁人之所不避に可有之、就而は速に今後天下一致、対海外候而皇国之基本確定仕候事、至切至要と奉存候」



慎みて建言奉り候。倩(つらつら)今日の形勢を惟(おもんみ)るに、去歳徳川慶喜政権返上を請願奉り、朝廷これを許可したまへり。続いてその土地人を還納せしむ。然して彼速やかに奉命せざるのみならず、終(つい)に政権返上の請願に戻り、剰(あまつさえ)兵を携え押而(て)上京を企て、一敗地に塗(ま み)れ、以而(もって)今日の争乱を生ず。固(もと)より迅速にその巣窟を衝き、天下の大典を糺ざる有べからず。然り而して抑(そもそも)一新の政たる、 無偏無私、内は普(あまね)く才能を登庸し、専ら億兆を安撫し、外は世界各国と併立し、以って邦家を富嶽の安きに置くに在。

就いては至正至公の心をもって、七百年来の積弊を一変し、三百諸侯をして、挙げてその土地人民を還納せしむべし。然らずんば一新の名義いづくに在るを知ら ず。実に天下の大勢元亀天正の時に在らず。慎みてひそかに朝廷及び諸藩の情勢を察するに、只(ただ)わずかに兵力の強弱のみを各自相窺ひ、朝廷は自ら薩長 に傾き、薩長はまたその兵隊に傾き、諸藩また概(おおむ)ねかくの如き類ひ、真に尾大の弊を免(まぬか)るる能はずして、真権の帰着する所、決して未可 認。況や大いに前途の大勢を顧みるに億兆の安憮哉。

思ふに東国の争乱もその兵卒を収むる久しく在ず。各藩の兵隊各藩に就いて、区々基本を固め、区々政刑を施すときは、その害再び決して抜くべからず。朝廷勉 めて一新の名儀をもって、その実を協さざる不可有(べからず)。然らずんば国家億兆の大不幸、前日の比にあらず。もし大令一発、諸藩怱(たちまち)に紛擾 を生じ、大条理乱るる如くに於いては、実に天運の真に回らざるものにして、人事の能う所に在らず。誓って至正至公の心をもって、糺(ただ)さざるときは、 何れの日にか貫通せざるを得ん。速やかに御英断在らせられたく、満願の至りに堪えず。 誠恐誠惶。 頓首敬白。



(解説) 木戸孝允が天下の諸侯にその版籍(領地と人民)を朝廷に返上させ、郡県制への途を ひらく意見を提示したのは明治元年2月のことでした。前年10月には将軍慶喜大政奉還、12月には王政復古の大号令、という歴史的事件が起きています。 しかし、翌年1月に鳥羽伏見の戦いが勃発、日本は内戦状態に入りました。

誰もが目前の騒擾に眼を奪われているさ中、今後の日本の建設に思慮をめぐらし、現状に対する危機感から、この意見書を呈し「版籍奉還」の重要性を訴えたの は、実に木戸孝允が最初でした。たとえ幕府を倒しても、依然として封建制は存在しており、新政府には兵権もなく、財権もなく、政権さえも確固として掌握し ていないのです。

各藩が軍隊を擁し、独立割拠している状況では、新政府など有名無実であり、倒幕をなした意味もなくなります。これを木戸は「尾大の弊」と称したのです。す なわち、「七百年来の積弊を一変し、三百諸侯をして、挙げてその土地人民を還納せしむべし」という現実策を掲げ、当時の輔相・三条実美岩倉具視に建白書 を提出するに至りました。

それは、生国・長州藩を敵にまわしかねない、無謀とも思える行為でした。前年12月に木戸は、長州藩が占領した豊前、石見の地を奉還するように藩主毛利敬 親に説いて、三条に進言させています。すでに上記の意見を前提とする行為であり、反対者が「木戸を殺せ」という理由がここにあります。しかし、木戸の最大 の理解者が毛利公であったことは、彼にとっては実に幸いなことでありました。

版籍奉還について、再三にわたって藩主に説いた事情については、木戸の自叙が残っているので、参照として以下に転載いたします。


版籍奉還建議の自叙

戊辰の歳、伏水(見)戦争以来、諸藩京都に輻湊し、議論百出、或いは攘夷と云い、或いは開国と云い、或いは鎖国と云う。而して三論中、また種々波党を立 て、各々国論と呼び、藩論と唱え、天下囂々(ごうごう)、自ら紛乱の勢いあり。東北の戦争を終え、諸藩その国に就き、互いに我流を主張し、兵力を養い、長 は薩と肩を比し、土は肥と争い、各一隅に割拠し、眼目をただ内治に注し、すでに大患の外に来るを知らず。

この時に當り、朝廷上条理を推すもの有りといえども、また是を如何ともすべからざる知るべし。ここに於いて皇国の大不幸、則(すなわち)億兆の大不幸、未 曾有と云うべき也。今日の急を論じ、前途の大略を定めんと欲せば、惟七百年来の旧弊を一洗し、皇国をして統一するにあらずんば、皇国を維持し、億兆を安ん ずるあたわずと。

是より苦按、焦思、一日も安んずるべからず。依って密かに版籍奉還の議を起こし、益(ますます)大義を明らかにし、名分を正し、天下をして大いに誘導し、 わが長藩をして首尾あらしめんとす。而して藩内の物情、甚だ易からざるものあり。況やまた天下に於いてをや。いやしくも、口外すべからず。然りといえども 千載の一時、今日の機を誤るときは、天下の事また見るべからず。

依って奮然意志を決し、ひそかに我が忠正公(毛利敬親)に謁し、具(つぶさ)に天下の大勢を論じ、将来の大患を陳せり。公聞きて是を善しとす。允(孝允) をして、密かに薩藩に説を許す。ここに於いて漸その始を立つるものあり。この間の紛紜(ふんうん)、百苦千辛、また容易に語るに堪えず。忠正公なくんば、 実にもって難しとす。