gdhb7215さん>五族共栄は本の表紙のようなもの、ページをめくると少しずつ内容がわかってくる、と私は思っております。イギリスは1911年の英清阿片協定によってインド産の阿片を1917年までに停止する条約を結び、じょじょに阿片から手を引いていった。
日本は50年遅れでイギリスの後釜に座ろうとしたが、すでに世界的に阿片禁止が主流となっていたのである。
したがってイギリスは道徳的に問題はあったが国際条約に違反
はしなかったことになり、遅れてきた日本は国際条約違反なってしまったのだ。


当時でもイギリスは議会というものがチャンと機能していたからね!

http://homepage1.nifty.com/ckasa/mp/akugyo22.html

以上のように、反対262票におけるイギリスの人々が居たことを評価するよ!



gdhb7215さん>こんな記事を読むと、さも日本がアヘンを資金源にして満洲を運営していたかのような錯覚をするよね。
そして、さも國際聯盟がアヘンの販売を非難していたかのような錯覚をする人も大勢出てくるんだろう。
記事にも書いてあるように、國際聯盟が非難したのは、日本がアヘンの利益を独占した(=専売制)ことなんだよ。
もともとアヘンはイギリスが中国で広めたものだった。
その利益を日本が横取りするのはけしからん、という程度のものなんだ。
この記事は、間違ったことは書いていないわけだけれど、これを読んだ人は誤解するだろうということまで計算して書かれているね。

どこかの金王朝の偽ドルとは訳が違うので、くれぐれも勘違いしないようにね.



当時満州で日の丸があがっている建物を見るとアヘン販売所だと思って勘違いする人々がたくさんいたようだ!



gdhb7215さん>こんな妄想にかられるのは、阿片などが野放しの中国から流れ込んで来たホームレスどもじゃネ?


半分冗談の積もりでキコしただけ、そんな表面だけ見て歴史を語ってもなかなか真実は見えてこないじゃないかなぁ〜〜

ある陸軍の参謀が、事変後中国の奥地を視察したことがあった

ところが、そんな奥地までもが、日の丸が聳えたっていたので

随喜の涙を流して感慨無量にひたったそうな

この話はこの参謀が書いた随筆に掲載されている

奥地では治外法権を利用して気の利いた日本人は

アヘン栽培や密売をして日の丸を揚げて

商売に勤しんでいたんじゃよ




gdhb7215さん>だから阿片が欲しければ、わざわざ日の丸を探していく必要などない。奥地でこそこそやる必要も無い。日本が絡む以前から、どうせ中国人は、自国産の阿片にどっぷりつかっていたんだから。(満州国建国後、中国人はどうしようもないとしても、日本人の親戚になる満州国民にだけは阿片をやめさせようと厳しい政策をしいた。この中国人のテイタラクを見て、内心はああなってはダメだ、と考えていたのだろう。


支那)事変当時、日本で喰いつめた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、アヘンの密売に従事しているものが多かった。かれらは治外法権を楯に日の丸の国旗を掲げて公然とアヘンを売っているのである。だから中国人のうちには、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。時々日本の国旗陵辱事件がおこり外交問題に発展することがあったが、よく調べてみると、中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった。
戦前にある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸の旗が翻っているのをみて、「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか」と随喜の涙を流したという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって涙を流したであろうか。
とにかく日本人のアヘン密売者は中国人から蛇蝎の如く恐れられていた」
(陸軍中将・池田純久「陸軍葬儀委員長」(1953年)・・・「日中アヘン戦争」江口圭一/著 岩波新書29 P-180より)
「中国国民は一度『日本』という言葉をもちだしたら、すぐ特務機関や罪悪を働く浪人のことを想い起こすのである。アヘン密売、モルヒネ売り、コカイン作り、ヘロイン売りなどを連想し、賭博窟を作り、娼妓を一手に引き受け、兵器の密売買、土匪援助、無頼漢庇護、あるいは漢奸をつくって秩序を乱し、人民の道徳を頽廃させるなど、毒化、匪化の陰謀を連想する」
(1938年12月の蒋介石の演説・・・同上P-186より)

まぁ〜借り物だが、読めばわかることなので、コメントはなしです。