統帥権

統帥権というのはむずかしいので、ひとことで言えば、兵権で、軍隊指導権です。
それでその観点から、日本の歴史を見れば、兵権はずっと将軍が持っていましたからね。
ですから、関東武士は京都の後醍醐天皇よりも足利尊氏さんをおれたちのの親分だと思っていたわけです。その意味から見ると、後醍醐天皇は兵権を自分で、つまり統帥権を自分の手に横取りしようとしたことになる。それは非常に危険のことであった。歴史上のこの南北朝時代ですが、ごたごたしたのは。
歴史をみれば、もともと、兵権を天皇はもっていなかったと思う。

柳原二位局、大正天皇のお母様ね、この方の姪で柳原白蓮という歌人がいた。
この白蓮さんが言ってるんですよ、
「私の叔母は若いときに女官として明治天皇にお仕えていた。明治天皇と言うお方は非常に武張ったことがお好きで、近衛の兵を集めて、自分が馬に乗って号令をかけて教練をやっていた。それを女官たちはみんな悪口を言っていた。天子さまは日本中の神主さんの代表で、馬に乗ったり刀を振り回したりするのは天子さまらしくない、天子さまは御張の蔭にかくれて、音も立てないでいらっしゃらねばいけない、とみんなで悪口を言ってたものですよ」というんです。
これがお公家さんに共通の、つまり平安以来の考え方です。明治天皇は兵隊がお好きだったからそんなふりになった、と
結局のところ、天皇が馴れない兵権を握るという形はあまりいいことではなかった。ということですね。明治以降の近代日本はそこに触れると危ない「信管」を抱えていた。