天下の大道

 

天性、勝負事は嫌いで、裁判は人びとの争いを裁くため、私は法律家に適していない。ただ、公正を愛する心のみが、私を裁判所へつないでくれた*1

忠彦は、会津武士の風格を持つ公正な法律家でした。
 忠彦は70歳で退官し、間もなく病床に伏します。
 

我々は天下の大道を歩こうよ、よしや抜け道や裏道があって、その方が近いと分かっていても、それはよしましょう。川に橋がなければ橋を架けて、そして渡りましょう。

忠彦の最後の言葉です。

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*1:戦後、最初の最高裁判所長官を務めた三淵忠彦の言葉です

*2:参考資料…「福島百年の先覚者」福島県