歴史と虹と現実

私は歴史を虹とみることができません、考えれば考えるほど、歴史は醜い政権争いだけが目についてしまうのです。だから、歴史を生き地獄とはいえないですから、歴史は夢幻になるわけです。
また、歴史は常に移り変わって、とどまることがない。人間のちっぽけな知識など、さしはさむ余地がない。歴史を言葉で言い表したものは、必ず矛盾が生れる。本当の歴史は言葉で言い表せないものです。これが私の正直な気持ちです。

今、戦争の遠因を見つめるに黒船来航から明治維にかけていろいろ考えていました。
考えるに、すべての人々の行動は時代の流れに沿い、その時をみんなが精一杯に生きたようすがなまなましく浮かんできますが、大きなビジョンをもって行動した人がいませんね。
政治とは、住みやすい社会を作るために、統治権を持つ(委託された)者が立法・司法・行政の諸機関を通じて国民生活の向上を図る施策を行なったり 治安保持のための対策をとったり することですが、「住みやすい社会を作る」という概念が皆無ですね。どちらかというと日本は「国防と侵略」という流れで動いていきます。
明治維新の時代に多くの志士がうまれ、近代化をすすめていきましたが、この概念をもっている人がみあたらないのです。
今も、もしかしたら、政治のおいて、「住みやすい社会を作る」概念がある政治家はいないかもしれませんね。やはり、国作りの基本の概念が不在だから、現在もおかしな世の中に向かっているような気がします。

しかし、人々のためにと生きた人はたくさんいたと思いますが、それらの人々は時代の流れにおいては、邪魔な存在になり、歴史上無視されたか、意識的に削除されたということでしょうね。この辺の歴史を掘り起こしされれば、いろいろすばらしい考え方とか、生き方とかが生まれ、歴史が倫理観の生きた手本になるのではないでしょうか。