西郷

私は人というものは、時にともない、成長する人もいれば、全然成長しない人もいるのではないでしょう。どちらかを良いとか悪いとかではありません。一般的なものです。私の周りの人々とくに、家族などは、全然成長しないです。成長するのは、子供だけです。
これは、生物学的にいえば、伸びざかり20までとすればある程度理解できるものです。
西郷は幕末の混乱期を通してドンドン成長した人間だと思います。だから、人を許せる心の広さが、自分の苦難と比例して生まれたのでしょう。たまには、逆に人を恨むようになる人もいますが。最後は自分の運命にも逆わらず委ねたのでしょう。
ただ当時の民人からみれば、士族優先の政策を推し進め民人を苦しめたかもしれませんね。
現地民人の戦費のために負担はかなりのものであったこと、西南戦争終結の舞台となった鹿児島市の民人に及ぼした苦悩など、想像できます。

虹を見るには、それにちょうど適する距離と方角から見なければ、あの美しい七色の虹は目に映らない。近すぎても遠すぎてもだめ。角度が悪くてもまた見えない。
 上智大学の渡部教授もおっしゃっていることですが、私も歴史というのは、虹を眺めるように見つめたいと思っています。水滴をいくらたくさん眺めても、個々の水滴としか映りませんから。

近すぎても、遠すぎても、角度が悪くても、水滴をたくさん眺めても、個々の水滴として映っても 虹(幻)は虹(幻)として存在するか、しないか解らないが、そこから自分で役に立つことをなにか掴めばいいのではないでしょうか。


歴史や人物の評価というのは、一方でこれを評価する者の性質や人格も同時に顕れるものだと自戒している者です。


歴史中の人物の行動や考え方を学ぶことは、必ず自分の経験の一部になるから、おおいに考えるべきである。時代が違っていても、人間として考え行動しているもので、現代の人々との思考と行動の間には、たいして違いがないと思っている。