韓国は、昭和29年7月から現在に至るまで、竹島に宿舎、灯台、監視所、アンテナ等を設置して警備隊員(警察)を常駐している。さらに、500t級船舶が利用できる接岸施設も在る。状況から見れば竹島は明らかに韓国領だ。


春宵さん>それだけで韓国領土とは言えないと思います。日本より警備隊員(警察)を常駐させたら領土になるのなら、それは単なる早い者勝ちじゃないですか。
韓国と日本、どちらか竹島に近い方が竹島を領土に出来るのでは?


そうです。早い者勝ちなんです。
思うに我輩の見地から見れば、そもそも日本と韓国との境に位置する絶海の孤島で、漁民ですら立ち寄らなかった岩だけの無人島は、日本、韓国の何れの領土でもなく無主の地である。よって、この島の帰属問題は取り合いになるのが常識です。
日露戦争のおり日本が取り、戦後のどさくさで、韓国が取っただけの話で単純なことです。


軍艦橋立で来航し、明治38年にはコンクリート基盤木造の海軍仮説望楼の建設をし、軍事的要塞として竹島を日本の領土の一部に編入してしまったのである。

これは海軍省ロシア海軍を監視する軍事目的のためです。

実際、編入からわずか数ヶ月後に、日本海の大海戦がこの島の付近で行われたのである。


>日韓議定書
第四条 第三国ノ侵害ニ依リ若ハ内乱ノ為大韓帝国ノ皇室ノ安寧或ハ領土ノ保全ニ危険アル場合ハ大日本帝国政府ハ速ニ臨機必要ノ措置ヲ取ルヘシ而シテ大韓帝国政府ハ右大日本帝国ノ行動ヲ容易ナラシムル為十分便宜ヲ与フル事

と議定書にある。


1904年2月4日の御前会議で対露宣戦の廟議は決定された。この日、仁川上陸をめざして、陸軍先遣隊木越安綱少将が率いる4個大隊(2200人)とその護衛艦佐世保を発進し、上陸は8日夜半行われた。木越司令官は二個大隊を率いて、すぐにソウルに入城した。これらは、10日の対露宣戦布告前に、韓国の皇帝の動向を封じ、服従させるための一連の行動であったのです。

日本軍の突然のソウル入城のため、在韓ロシア公使はソウルから撤退し、韓国政府の内の親露派の言動は封鎖された。

つづいて16日から27日にかけて、第一軍の14、000人が仁川に上陸した。

前月、韓国政府は局外中立宣言を表明していたが、日本軍によってひとたまりもなく蹂躙されたのである。

23日、このような軍事的威圧の下で「日韓議定書」が強要して調印されたものに正当性をみとめるならば、当然として軍事的威圧下で行われた行為にも正当性があると言わざるを得ないのである。

日本は主張を止めた時点で、朝鮮植民地支配の非合法性を認めることになり、主張し続けても朝鮮植民地支配の非合法性が問われるだけで、いづれにしてもこれを解決するには、日本自身が歴史を清算しなければならない。


昇竜鳳舞先生>竹島問題とは、日本が武力による自衛行為や問題解決を避け続けるという「弱み」につけ込んだ、韓国からの武力を用いた、日本領土への侵略に他ならないんだよ。


過っては日本も武力を用いて、その弱みにつけ込んで韓国を併合し、全土を侵略した。その最初の犠牲地が竹島、つまり、竹島は韓国の固有の領土であり、それを支配することは、当然のことであり、そこには紛争地域ではないという思いがある。やはり、過去が清算されなければ、韓国としても如何ともし難いものがあるのでしょう。