勝てば官軍

「勝てば官軍」王政復古のクーデターで暴力によって一時的に政権を獲得したとしても、物理的強制力だけで政権を維持するのは至難のわざであり、そこで、政権は正当性を賦与する精神的権威が必要となる。日本は国家の機軸とすべきものを欠いていた。そうした点では、仏教も神道もおよそ無力であり、つまるところわが国には皇室しか存在しない。(この考え方が間違いのはじまり)
大久保、西郷、木戸、維新の三傑天皇親政とはあくまで国づくりという目標の前では一つの手段であった。
日本の天皇は中国皇帝とは異なり、神的性格を強く帯びるのはそのためである。天皇は権力的存在ではなく、権威的存在である。そうして初めて連綿たる皇統も可能になる。そうなると、政治権力の所在は他へ移り、支配の二重構造が生まれる。そしてこの問題は、究極のところ天皇と官僚との究極的関係に帰する。
そもそも、政府側に天皇補導の意思は希薄であった。たとえば、皇太子の教育で一時期、歴史に興味をもたれ、戦争の悲惨さを分かりかけたが、国の戦争拡大政策には邪魔になるので、元老達は無理に歴史書をとりあげ、さしさわりのない植物学を勧めたことにより昭和天皇は植物学者として有名になった。よって昭和天皇個人に対しては普通の人間としてみれば、仕方がなかったと思います。責任は自分達の利を考えていた元老達に責任があることは間違いない。
元老達が国作りを急ぐあまり、明治憲法天皇をもって不可侵として、教育勅語を道徳の源泉としたのもそのためである。
しかし、この臣民にたいする天皇を不可侵する教育がそもそもの間違いであった。
この教育こそが、いつの間にかひとり歩きして帝国主義的総力戦国家が生まれた理由であると思う。やはり、教育が一番大切なことですね。