日本が西欧列強の植民地にならなかったのは

幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、さらにはフランスと修好通商条約を結びます。日本における外国の活動は、この修好通商条約できめられたフレームワークのなかでおこなわれたので、日本が西欧列強の植民地にならなかったのです。
一般的には外国側に領事裁判権の待遇がみとめられていますが、しかし、治外法権というのは外国人が好き勝手にできるのではなく、外国政府の法律や行政権は、すべての外国人にかんして日本国内で十分な効力をもっており、日本の法律に十分にとって代わり、平和の維持と犯罪の抑圧のために適切な措置を講ずるということになっています。つまり、治外法権というのは、日本の法律から免じられているということだけで、政治的・経済的に不利益をしいられたかというと、かならずしもそうではないです。幕末において不平等を問題視する批判を見出すことはない。そもそも、これらの特権を外国に与えるについて、幕府当局は何らの疑問も不安もいだかなかった。日本にいる外国人のおかした罪はその国の領事が裁くという治外法権の規定でも、幕府がわでそうした方が面倒がなくてよかろうと思ったほどだし、居留地が設定することなどは、幕府の方から言い出したことであった。それなのに、後世のものだけが大いにこの問題を重要視して、当時の歴史を論じていることがよくわからん。

ペリー来航のとき、異国船を一目見ようと海岸に押し寄せ、海辺は人であふれんばかりだったという。幕府によって、不備はあるにしても、当時、外国との折衝は上出来だったと思う。戦争に敗れて講和条約という形で国を開き、巨額の賠償を支払わされ、領土を奪われ、武力で驚かされ植民地のような条項を、飲まされたりするケースがほとんどです。そのなかにあって、平和的な交渉によって不平等が少ない条約を結びます。