日米修好通商条約の批准書交換

1860年(万延元年)、幕府は、タウンゼント・ハリス初代駐日総領事の勧めもあり、1858年に締結した日米修好通商条約の批准書交換のため、新見豊前守正興を正使とする使節団を米国に派遣しました。1860年2月、使節団一行77名は、米国政府の提供した軍艦ポーハタン号にて日本を出発、太平洋を横断して、同年3月にサンフランシスコに到着しました。勝海舟福沢諭吉、ジョン万次郎等が乗船した咸臨丸も、護衛と遠洋実習を兼ねてサンフランシスコまでポーハタン号に随伴しました。サンフランシスコを出発した遣米使節団一行は、パナマを経由して5月、ワシントンに到着、ブキャナン大統領と謁見し、条約批准書を交換。その後、ボルチモアフィラデルフィアを訪問、同年6月、蒸気船にて最終目的地のニューヨークに到着し、そのままブロードウェイをパレードしました。ニューヨークを見聞した一行は、6月末に帰国の途につきました。