沖縄

〔戦後〕

下記は昭和22年、GHQ外交顧問シーボルトマッカーサーに提出した覚書です。

「1947年9月19日(金曜日)

 午前、内廷庁舎御政務室において宮内府御用掛寺崎英成の拝謁をお受けになる。なお、この日午後、寺崎は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問する。シーボルトは、この時寺崎から聞いた内容を連合国最高司令官及び米国国務長官に報告する。

 この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものでなどある旨などが記される。


沖縄に米軍基地を置くことを米国にお願いした天皇は、生涯、沖縄に行くことはなく、沖縄博にも天皇の代わりに皇太子が出席し、ひめゆりの塔に参拝中、火炎びんを投げつけられます。