朝鮮の金と日本

幕末、欧米の商人が日本の金銀比価の開きを利用して、金を日本からもちだした。そのにがい経験を、今度はみずから朝鮮に通用し日本側の治外法権・日本語貨幣の流通・関税免除によって、朝鮮産出の金の日本への輸入も、このやり方を見習った。すなわち、朝鮮での金・銀・銅の比価が、国際社会と異なるのを利用して金をもちだし、あるいは朝鮮の凶作を利用して、飢餓迫せまる朝鮮人から、米・芋と晋かえに金をえたり、または日本紙幣をもちこみ、それを常平銭にかえ、金を購入したり、さらにのちには、朝鮮の採金業者や窮迫農民が凶作で生活に困ってくると、朝鮮では金採取事業は薄利で、本業とするもの少なかったが、やむなく農民がそれに従事した。このように、朝鮮は日本にとって、食糧供給地、また金の供給地としての利益権として扱うようになった。朝鮮からの利益は軍拡資金に多く使われたり、薩長政府企業をうるおし、かれらの日本における独占的地位を強めることとなる。

軍需品は終局的には再生産に還流してこんから、軍拡を機動力する産業の発展は、遅かれ早かれいきづまることになる。生産資本の軍拡経済のもとでは不可避である。そこで一方では外資輸入論がおこり、他方では弱い隣国の収奪への誘惑にかりたてられるのである。

これは幕末に吉田松陰が、欧米には従属しながらその代償を朝鮮・満州で得べしといった路線と同じである。