李鴻章

李朝の実権を握っていた関妃政権に対する日本の影響力の拡大、朝鮮米の大量買付けとイギリス製綿製品の輸出を中心とする日本の経済進出に対して、清朝も、李鴻章を中心に、伝統的な冊封関係の枠を越えた積極的な干渉政策を進めることになるのです。

しかし、清国は、列強の干渉を誘いこむような、朝鮮の武力衝突がおきることを欲していなかったし、それでなくとも当時の清国はイギリス・フランスとのあいだに深刻な係争をかかえておった。

日本は清国が朝鮮に対して国交を結ぶようにすすめることを要請します。李鴻章は、日清修好条規にいう邦土は朝鮮をふくむものであり、江華島事件は朝鮮領海に侵入した日本側にも責任があり、永宗島攻撃は不法である、と述べたが、開戦を避けたい李鴻章は、すでに総理街門に建策し、朝鮮にたいして江華島事件の平和的解決と日本使節を自重して迎えるよう求めて、清国政府は、朝鮮国王に勧告したのである。つまり日本は朝鮮に条約交渉を応ずるように勧告すること求め、宗族関係を否定しておったが、現実の宗族関係に暗に認めていたのです。

アメリカは日本が日朝修好条規を結んだので、日本の仲介を望んだ。朝鮮との通商独占を望んで、対欧米開国を欲していなかったので、アメリカの要請にたいし積極的な対応をしなかった。そこで、朝鮮の対応と日本の非協力的態度をみて、仲介者を清国に要請をしたのです。李鴻章アメリカの要請にすぐ応じたのは、すでに朝鮮にたいし欧米との開国を勧告する政策をとっていたからである。それは、日本の侵略政策に対抗するため、欧米諸国をひきいれて日本勢力を牽制しょう、という意図にもとづくものです。

日清両属の歴史を有する琉球の日本への併合(琉球処分)は、中華的アジア伝統世界の崩壊につながり、日本の矛先がつぎには朝鮮にむけられるのは必至とみられたからです。

このときの資料として李鴻章が数年来交友関係にあった朝鮮の重鎮李裕元にあてた書簡がある。

「貴国は既に巳むを得ずして、日本と通商条約を締結したる以上は、各国も必ず之に倣わん事を欲すべく、日本は巧妙に之を利用する子とこれあるべく候。只今之を計るに、宜しく敵を以て敵を制するの策を用うべく、いわんややヨーロッパ各国と条約を締結し、以て日本を牽制するを得べきに於てをや。彼の日本は其詐力をたのみ、四隣を蛮食鯨呑せん事を謀り居るものにて、琉球を廃したるは明に其一端をあらわせるものにして、貴国固より之に備えを為さざるべからざる処にこれあり候。然して日本の畏るる所は西洋人にして、朝鮮の力を以ては日本を制するに足らざるべきも、西洋人と通商して、之と共に日本を制する時は、綽々として余裕有るべく候・・・」