台湾出兵2

明治政府が誕生して、記念すべき初の兵3000余での海外遠征軍なのに、在外公館に報せないというのはまだいいとして、国人にも公示せんで、夜盗のように船を仕立ててこっそりと出ていくなどとは、無名の師というものであって、近代国家としてありうべきでない。個人的野心のために無名の帥に駆り出され異郷の土となった青年たちは哀れである。


参考

遠征三カ月後、谷参軍が大隈参議と山県陸軍卿にあてた書簡

「当地近来にいたりマラリア大流行、各舎ことごとく病院同様、去月最初よりは死者数多これあり、夫卒従者にいたるまで力役に勝る老ほとんど一人もこれなく、薪水の労みなこれを土人にあおぐ。まことに意外の天災何とも申しようこれなく、医者もことごとく病み候ゆえ、諸事薬用も行き届かず、不養生より死者甚だ多く、実に愍然のいたり、目も当てられぬ有様、戦わずして全軍の気阻喪・・・此のごとき難儀に遇うこと未曾有未曾聞なり」