江華島事件の真相

[江華島事件の真相]

武士は主君に奉公し、その代償として領有権や俸禄を受ける。武士の奉公の最も重要なものは戦うことだから、武士の名誉も経済的利益も戦うことによってもたらされた。その意識は、明治に入っても急には変わらない。明治政府は戦功者に賞典禄を与えており、藩の内部でも戊辰戦争の戦功者が高い地位を得たり、藩主の賞典禄が戦功者に再配分されるなど、戦功こそが武士の政治的・経済的地位をもたらしていた。現在の自分の地位に不満をもつ武士がいる限り戦い、それも戦争目的に幅広い合意があり、天皇への奉公を示せる戦いが期待された。

国内が統一された後、名義が立つ対外戦争であれば相手はどこでも良いのであるが、敗戦によって国家がゆらいでしまってはいたしかたないし、時期はなるべく早い方が良かった。その格好の対象が朝鮮だったのである。木戸はじめ山口に基盤を持つ新政府首脳たちは、版籍奉還廃藩置県と国内統一が実現し、脱隊騒動で戦功ある不満分子を弾圧してしまえば征韓にこだわる必要性は低くなった。しかし、鹿児島・尚知・佐賀出身の首脳たちは、それぞれ同郷人の征韓の要求へ対応せざるを得なかった。新政府がその地位の安定を求めるなら朝鮮の無礼を許さず、武力を発動して国威を発揚するという課題を、これら一般士族の力を使わずに、また西洋諸国の批判を受けないようにはたすことが望ましかった。江華島事件軍事技術的にも外交論理のうえでも西洋に倣うことで、士族一般はもちろん、徴兵制陸軍の力すら用いずに「征韓」は達成された。これは西洋に倣う「開化」のみごとな成果であった。征韓の夢を見られなくなった不平士族は、直接に新政府へと刃を向けざるを得なかった。