尾崎行雄

「確実なことは、信じていたか、否かは、さしたる問題ではない」ということです。

天皇が「こういった」「ああいった」だから、こうである。議論は歴史学者にまかせるとして、開戦につき証明捺印が存在すること。
全アジアの死があること、これだけで十分である。


明治・大正・昭和 三代を議会人として生き抜いた尾崎行雄
玉座をもって胸壁となし、勅旨をもって弾丸にかえる」と
政府を非難したことがあった。これは、政府が天皇の権威を利用して不当なことを行うのを責めているわけですが、私から見ると利用された方も知らないではスジが通りませんね。

また、次のような和歌を残している。
敗れなばヒ氏とム氏とは自殺せん
   我大君はいかがしたまう
ヒはヒトラー・ムはムッソリーニ

元東大総長 南原繁氏は
「その御代において、わが国有史以来の大事がひきおこされたことについて、上御祖宗に対し、下国民に対して、最も短く精神的・道徳的責任を感じさせることは、殿下であろうと拝察する。・・・・・・・・」


参考まで

1937年9月4日第71回特別議会の勅語

「・・・・中華民国、深く帝国の真意を解せず、濫に事を構え遂に今次の事変を見るに至る。朕之を憾みとす。朕が軍人の百難を排して、忠節を致しつつあり。是れ一に中華民国反省を促し速に東亜の平和を確立せむとするに外ならず。」
1938年末軍事予算を決議を審理する第七回通常議会の勅語
「朕が将兵は克く艱難を排して乙に支那の要定したり。然れども東亜の新秩序を建設して東亜永遠の安定を確保せんが為には、実に国民精神の高揚と国家総力の発揮とに俟たざるべからず。」