大元帥として活躍

日中戦争中、天皇の言葉「近衛は不拡大方針を主張していたが、私は上海に飛火した以上拡大防止は困難と思った。・・・・・・私は盛んに兵力の増強を催促したが石原はやはりソ連を怖れて満足な兵力を送らぬ」

手元にある資料では天皇の太平洋戦争において熱心に作戦を指導していたことがわかる。
たとえば消極的な現地軍を叱咤し、具体的な作戦を提示している。
天皇は内閣に従う単なる立憲君主ではなく大元帥としては当然なる行為であると思う。

「独自録」からすこしだけ紹介する。
満州は田舎であるから事件が起こっても大した事はない」
「威嚇と同時に平和論をだせ」
天皇が中国に対して蔑視意識をもっていたことがわかる。
しかしこれらの差別意識は当時の一般の日本人そのものの意識にもあることなので注意してみなければならない。

戦後の天皇の弁明「戦争に反対する者の意見は抽象的であるが、内閣の方は数字を上げて戦争を主張するのだから、遺憾ながら戦争論を抑える力がなかった」

戦争消極的(立憲君主)であったか、大元帥として活躍した。