戦後世代の責任

半世紀以上も前の事柄に対して、なぜ戦後世代が責任を負わなければならないのか」という考え方に若い世代の中に共感する者が少なくないと思います。私も戦後生まれですから直感的にかなり分かりますが。しかし、最近でも国内では靖国神社の問題が少しずつニュースに流れ、今、現在、戦争が世界の中で現実に起こっています。パレスチナ問題、テロ問題、また貧困や飢えに苦しむ難民救済や発展途上国の人平和に見えていても、国家間の微妙な問題を抱えていたり、衝突の危機をはらんでいたりする国もあります。これすべて、戦争責任問題との関わりは大といえます。そこで歴史を振り返り、歴史を正しく認識することが必要ではないかと考えます。押し流したかんがえでは正しく認識できないのではないでしょう。
「時の数の理論」すなわち、自分の国の利益ばかり考えている思想では到底自分の中ででは消化されないのではないでしょうか。
たとえば、「日本が引き起こしたあの侵略戦争により、中国人民およびアジア諸国の人々、自国の国民にまで大きな被害がもたらされた」という認識ができるかどうかは自分自身では重要なことです。なぜなら、過去の出来事のすべてのうえに自分という存在が成り立つのではないかと考えるからです。
私は歴史学者ではありませんので細かい資料についてはあまり関心ありませんが、人の死についての状況を考えると自然に悲しくなります。「なぜ、こんなことになったのか」「だれが、こんなことをしたのか」そこにこだわりがあるからです。
私は天皇に対し道義的責任を追及しているわけではありません。私は自分自身の中に天皇の存在のあり方を求めているだけです。