天皇の責任

明治憲法にいう「当地権の総覧者」すなわち国家元首であり、旧日本軍の「大元帥」すななわち最高責任者であり、当の存在であった天皇の名において「帝国臣民」が戦争に駆り出され、皇軍によるアジアの全死者は、まさに天皇の「名のもとに」犠牲にされた。国内では法的責任はないとしても「臣民」に対する道義的責任は存在する。また国際の、法的、政治的、道義的なすべてにおいて責任があるのはあきらであると思う。

帝国憲法第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

これは天皇が「統治権を総攬」すると規定すると同時に、またその統治権は「憲法ノ条規」にもとづき行使されると規定したものだが、後者に関し伊藤博文は「憲法義解」で「三権各其ノ機関ニ輔翼ニ寄リ之ヲ行ウ」という考え方背景とすることを附記している。
明治憲法体制は、輔翼機構の多元性と対抗、形式における最終決裁者としての天皇の存在、によって特徴づけられる政治体制であるが、規定そのものが相対立する二重の考え方を成立可能にしているのであり、実態はこの二つの考えのいずれかに単純化することによっては把握できない。
実際運用においても国家意思の決定の仕組みは、帝国憲法上、統治権天皇に総攬されており、輔翼諸機関相互の間で対立が生じた場合、その最終決定者は天皇以外ではありえなかった。こうした事態が生じた場合、天皇の個性・個人能力の問題は重要性をおびざるをえない。