近衛メモ

東宮学問所(皇太子だけの学校)での人間形成において、歴史学者の箕作元八が教科書として献本した自分の著書「世界大戦史」が多感な少年期の皇太子・裕仁に影響をあたえた。
皇太子は学友に対して「これまでに、こんな感銘を受けた本はない。第一次世界大戦では幾百万もの人命が失われている。戦争に勝っても犠牲は大きい・・・・」と読後感を語っている.

大東亜戦争についての御前会議で開戦の最終承認したのは、昭和天皇であった。

日本の憲法というものは天皇親政の建て前であって、英国の憲法とは根本において相違がある。ことに統帥権の問題は、政府には全然発言権がなく、政府と統師部との両方を抑ええるのは、陛下ただ御一人である。しかるに、陛下が消極的であらせられることは、平時においては結構であるが、和・戦いずれかいう如き、国家生死の問題に立った場合には、障碍(しょうげ・障害)が怒り得る場なしとしない。英国流に陛下がただ激励(げきれい)とか注意を与えられるかというだけでは、軍事と政治、外交とが協力一致して進み得ないことを、今後の日米交渉において殊(こと)に痛感した」

上記は、戦後、「天皇の戦争責任」を記述した近衛メモであるが、太平洋戦争開戦時のさいの天皇の「消極的」姿勢は、軍部の暴走をおさえることができる、だだ、一人の権力者・天皇が、それをしなかった責任があると主張したものだ。