天皇の真意は分からず

「・・・今度の敗戦については何としても陛下に御責任のあることなれば、・・・
講和条約の成立したる時、皇祖皇宗に対し、又国民に対し、責任をとり被遊、御退位被遊が至当なりと思う。・・・・・」(木戸日記)昭和26年10月17日、木戸幸一(敗戦時内大臣)獄中から上記伝言を天皇近松平康昌(式部官長)に通じた。東京裁判資料より。

木戸幸一は戦争責任ではなく敗戦責任を退位のかたちでとることを主張している。
また、若手代議士中曽根康弘も「戦争犠牲者達に多大の感銘を与え、天皇制の基盤を確立するためにも、昭和天皇の自発的退位が望ましいとし、・・・・平和条約の日がもとも適当である」と論じた。吉田首相は憤慨として、天皇退位は「国の安定を害することでありあります。これを希望するがごとき者は非国民だと思うのであります」と答えた。(中曽根政治と人生より)

上記についてかなり議論され天皇は講和発効記念式典における天皇の次のような言葉であった。

「戦争による無数の犠牲者に対しては、あらためて深甚なる哀悼と同情の意を表す。・・・・・・・過去を鑑み、世論に察し、日夜ただおよばざることを恐れるのみです」(朝日新聞より1952年5月4日)

天皇はみずからの戦争責任を認めるかわりに「一億総懺悔」類似の表現で改めて退位をしない決意を示したのである。

上記は本心からでた言葉というよりも、吉田首相と側近が討議の末の天皇の意思表示ではないかと思います。

木戸は「国民に陳謝するとか、何らかの表現があって然るべきではなかったか」と不満であった。(高橋紘 象徴天皇から)

没後、今日にいたっては天皇の真意は分からずじまいです。確かに言えることは天皇は国民の前にみずからの戦争責任を認めることなく、この世を去ったことだけです。