天皇機関説を政府が否定するとは

天皇機関説を政府が公式に否定したことは、天皇が国家機関でなくなったのだから、他の国家機関との妨げとか協力といったいっさいの関係は消滅したことになる。要するに天皇が日本を統治するのだと強く主張したもので、一方的な関係しか残らない。また、統帥権という面においては、もともと陸軍の参謀総長も海軍の軍令部総長もどちらも参謀であって、天皇の補佐役であり命令の伝達者にすぎない。すなわち軍の行動はすべて天皇一人の権限であり責任である。当然、天皇が沈黙すれば軍部がこれらのすべてを独占することが可能になる。
天皇機関説が公式に否認された後の日本国家の行動は、政治も外交も全面的に天皇一人の責任という解釈が充分成り立つ。専制国家、神権国家として、それは当然の結論である。

実際はどうであろうか
軍部の上層部(決定権者、年輩の将軍達)の多くは、軍人勅論をはじめ、軍が教育していたこと、たとえば、天皇現人神、神国日本、八紘一宇などは、さすがにそういうことが「建前」にすぎないことはわかっている。しかし若い将校たちに「建て前」論を掲げられて正面から迫られると、いつもそのように訓示している将軍たちとしては、これを否定することはできなくなってしまう。1936年の2・26事件の翌年に日中全面戦争がはじまり、日本が大戦への一途をたどったもとは、それは軍部上層部が青年将校の「建て前論」を「常識論」で抑えることをやめ、全軍、神がかった「建て前論」の信奉者となったからである。
これらのもとの原因は明治維新のなかに含んでいる。