倒幕の密勅

>史家や小説家は歴史の結果を知っています、歴史の中の人達は明日の命さえも

分からないのです、まず徳川家の石高を零にして,徳川慶喜を殺す事、これが

倒幕派の目標です、・・・・・


そうだと思う。

・・・汝、宜しく朕の心を体して、賊臣慶喜を殄戮し、以て速やかに回天の偉勲を奏し、而して、生霊を山嶽の安きに措くべし。此れ朕の願なれば、敢へて或(まど)ひ懈(おこた)ること無かれ

殄戮(てんりく)とは、「殺し尽くす」という事で、上記は倒幕の密勅で、この密勅と同時に、薩長両藩には会津藩松平容保桑名藩松平定敬の誅戮を命ずる勅書も次の如く出されている。

「・・右、二人久しく輦下に滞在し、幕府の暴を助け、其の罪軽からず候、之に依り速やかに誅戮を加うるの旨、仰せ下され候事」

誅戮とは罪ある者を殺すことです。

討幕の密勅は、中山忠能正親町三条実愛・中御門経之の三名が、天皇の意向をうけたという形式になっている。明治二十四年のこと、正親町三条実愛は質問に答え、中山が名ばかりの参加であること、くわえて、密勅が秘密に作成されたとを、次のように証言している。

問   討幕の勅書を薩長二藩に賜わりしは、如何なる次第に候や。

答   余と中御門との取計なり。

問   中山公の御名もあり、是は如何なる次第に候や。

答   中山故一位は名ばかりの加名なり。岩倉が骨折なり。

問   右は二条摂政、または親王方にも御協議ありしことにや。

答   右は二条にも親王方にも、少しも洩さず。極内のことにて、自分等三人と岩倉より外、知るものなし。