アメリカのソ連援助

 1941年6月ヨーロッパ大陸を席巻し残る英国と戦争中だったドイツは突如ソビエト領土に
なだれ込み「独ソ戦」が始まった。

 このとき日本陸軍はドイツと連携して満州からシベリアに攻め込こむ事を企画したが
 2年前のノモンハン戦でのソ連軍が強すぎたイメージがあり躊躇していた。
 (この後日本も海軍主導で半年に後真珠湾奇襲で太平洋戦争に突入するが、、、)
 独ソ戦の開始に伴いアメリカと英国はそれまで友好国ではなかったソ連に援助物資を送った。
 英国とソ連だけではドイツ戦の勝利は困難とみて、ソ連への援助だが桁が大き過ぎる。

 この援助は1945年まで続き独ソ戦でのソ連勝利の大きな要因となった。
 援助物資の内訳は
 航空機用ガソリン・オイル 267万トン
 ジープ・トラック     38万台
 軍用機          1万4千機
 戦車           7056両
 高射砲          8000問
 機関車          1900両
 軍靴           1500万足
 無線機          1万6千台
 軍艦(小型含む)     600隻  
 商船            95隻
 食料           447万トン
       に及ぶ。

 この援助が決め手となり独ソ戦(東部戦線)の流れを確実に変えた。
 まず米国製100オクタンの高性能ガソリンのおかげでソ連戦闘機の速度、上昇力が10%以上向上しドイツ戦闘機に立ち向かえるようになった。尚ドイツ軍87−90オクタンの航空燃料が主だったいう。日本でも4式戦疾風(陸軍戦闘機)が公証最大速度624キロと言われていたが戦後米軍に押収され米国製100オクタン燃料、高級オイル、米製プラグに交換して速度689キロを出した例もありオクタン価で別機種のように性能が変わったのだ。
 又冬季にドイツ側は苦しんだが米国製不凍エンジンオイルのおかげでソ連ソ連戦車は冬季にも活躍できるようになった。
又上記のトラック38万台の援助でソ連は戦車の傾斜生産が可能とり、航空機用ガソリンも自国産原油を戦車用の軽油に振り向ける事が可能となった。この時期ドイツ軍が迫ったソ連南西部の油田を破壊または撤去ししていたのでソ連軍も
対戦前半は石油入手に苦しんでいたのだ。援助ルートはアメリカ→ウラジオ ?インド洋→イラン経由 ?イギリス→ソ連だったという。この内約75%がイラン経由であった。
米国の上記対ソ連援助金額は当時の金額で91億ドルとされるが、米国は英国にも134億ドル(ソ連への1.5倍)分の資材を援助している。つまり第二次世界大戦当時日本、英国、ソ連、ドイツの4カ国が束にになってかかってもアメリカは負けなかっただろうと推測できる。