牧野伸顕日記 張作霖爆殺事件

牧野日記
<六月二十五日(前略) 午後鎌倉へ引取りたるに、午後九時過ぎ後藤子是非面会したしとて東京より自動車にて来訪あり。其要旨は、張作霖暗殺は慥に邦人なりとの確説を得たり、果して然らば実に容易ならざる影響を及ぼすべし、就ては事の顕はれざる前に適当の処置を講ずる必要あるべし、なにぶんにも心配に堪へず、別に相談する人もなければ、夜中を顧みず国家の大事として来談したりとの事なり。全く誠意の発動に外ならずと感動したり。但し果して邦人なりし確証の有無如何を慥めたるに、唯間違なしとのことにて、具体の細話はなかりし。若し事実なりとせば固より秘密の保たるべきものならざれば、国際問題とならざる前に進んで相当善後策を講ずる事当然なるべく、如何にも同憂の次第なるも、何れにも政府の当局に就き事実を確め、其上にて考慮を重ねる外なかるべしと陳じたるに、子爵も、最近の機会に田中にも面会の積りなり、今日は腰越にて不在なり云々。其他余談に移り時余にて引取られたるが、本件は過般来、同様の流説は耳[に]するところにして、後藤子の聞込に依れば事実らしく一歩を進めたる感あるも、未だ確定的には受取れざれば、暫く後報を待つ心底なり。>

 西溜にて近衛公に面晤。(中略)外に同公の内話に、首相は前夜徳川公を態々訪問、満州の出来事に付大に決心するところある旨を談示したりとの事なり。此れは議会の問題となるべきを予想して予じめ議長丈けには内密含め置きたるものと推測す。
 河井次長来訪。侍従長よりの伝言に、二十八日陸軍大臣拝謁後特に面会を求め、内奏の趣旨を語りたる後、過日首相が内大臣侍従長満州事件を内談したる時賛成したる事実ありやとの質問を為したる由。侍従長は之に対し、首相より内話は聞きたるも相談を受けたる事なく、從而特に同意の旨を述べたる事なしと返事し置きたる趣なり。
 徳川公も突然来訪にて、首相が前夜入来にて満州事件の内話ありたる事を為念説明あり。前記近衛公の話しと同様なり。>

<一月十日 原田男入来。満州事件に付ては軍部には矢張り調査の結果ウヤムヤに葬り去る空気充満し、陸相も周囲の掣肘に時々動揺するものヽ如しと。閣僚も依然政変を恐れ、今に首相の決心に対し心中服従し居らず云々。(後略) 尚ほ重大事件に付ては相当日子を経過したるが進行如何との御下問に対し、右は陸相に於て折角従事致居り、凡そ今月中には第一回の取調べは結了可致、第二回の分は三月中には済み可申と予想を申上げたる由。然して本件全体の責任問題に付き言及し、一狂人の仕事に対し内閣が責任を取る理由なき事を申上げたる由なるが、如何なる前後の関係に於て斯る重要なる事を軽々に陳上したるかは不明なるも、取調べ中の今日に於て予じめ先き奔りたる事を申上げたるは奇怪の感を禁ずる能はず。不思議の心理状体なり。実に恐れ多き事なり。>


<二月二十七日(前略) 昨二十六日陸相拝謁したる折、満洲の重大事件に関し御下問あり。陸相は調査延遷の理由として、関係者は訊問に対し昂憤[奮]し、国家の為めと信じて実行したる事柄に付取調べを受くる理由なしとの現地より、容易に事実を語らず、陸相種々説諭を加へ漸く自白するに至り、為めに進行も段々永引たる事情申し上げたる由。>

<二月二十八日 河井次長来邸にて、その趣旨は本日聖上より内大臣の意見を御聞き被遊度、その内容伝達の為めなりとのことなり。其第一は総理より時々の言上に付兎角違変多き事、第二は済南交渉事件は必ず決裂させずと一再ならずも首相より申上居るところ、其後の経過に顧み御心配被遊るヽに付、此際に処する見込如何との御下問なり。以上二点は昨年以来一貫したる御軫念にて、実に恐懼に堪へざる次第なるが、極はめて重大なる事柄に付出京の上奉答申上ぐる事として雑談に移り、暫らくして辞去せらる。>


<三月二日 出京、参内。前々日の儀に付侍従長、次長共に官房にて話合の上、御下問の第二については、侍従長より御心配の点を田中総理へ適当の言葉を以て伝達致す方可然と決定し、其口上の起艸を次長へ依頼し、即時に整ひたるに依りその趣旨を以て拝謁の上御思召を奉伺したるに、御満足被為在、左様計ふ可しとの御沙汰を承はる、第一の点は事大体に渉り一層重大なれば西園寺とも相談致度旨を申上げ、拝辞す。前記御嘉納に付侍従長へ談示、最近の機会に実行の事に打合済。
三月三日
 岡部官長来邸。興津行の予定なりしを以て前日来の事を伝言す。(後略)>

<三月四日
 首相別用にて参内の事あり、此機会に於て侍従長より申聞けたる処、謹聴の後、従来と同様の態度にて、決裂に至るまじく自信の次第を述べ、尚御安心被遊候様不日拝謁の上言上可致との事にて引取りたる由なり。 岡部官長前記の成行を詳知し、今午後愈々興津へ向ふべく決定に付、更に来邸を求め前日尽くさヾりし第一の御下問事項及首相の変はる云々の事に付、為念小生の意見を加へて伝言し、尚老公の気附あらば承知致度旨附言し置けり。>

<三月二十七日
(前略)原田男来訪にて、満州の重大事件に付宇垣大将より内聞の趣を報告あり。昨年来珍田伯と同席にて首相より直接其決心を聞取りたるところと根本に付大差あるを以て、事容易ならずと痛感したるに付、直に参内す。 原田男は興津へ出向くとの事なりしを以て、実行宜しか[ら]んが、首相、陸相最後の会談を開きたる後出発可然と注意せり。 本日は師団長御陪食に付侍従長との会談遅刻したるが、原田男も出頭して重ねて宇垣大将の最近の内話(宇垣大将も御陪食に被召)として、陸相は午前中已に拝謁して重大事件決定の議を内奏したる趣を報告あり。実は陸相の拝謁前真相を確かめたる上御思召等も伺い度含みなりしも、手遅れしたり。 此際心配したる点は、昨年暮重大事件に付首相より言上したる趣旨と陸相より今日奏聞の内容と差違なきや否やにあり。>

<三月二十八日 参内。 侍従長も大に心配して拝謁の折御伺ひ申上げたるに、此度は別に矛盾なしと被仰たる由。大に安心せり。推測に依れば、西公及珍田伯、小生等へ首相決心の次第を縷々時余に渉り披瀝したる程、手続等の細目に関しては申上ざりしものならん。「過ぎたるは及ばざるに如ず」とは斯る場合に適用して可ならん。事実明確になり材料備はり、所謂調査結了せば、軍法会議を開設して大に軍紀を糺し、内外に対し日本陸軍の名誉を回復すべしと非常の決心を述べ、又為めに一時は支那に於ても反感あらんも終には日本政府の公明正大なるを認め、感情改善の動機ともならん抔、首相には見上げたる超越的態度、語喋[調]に口演せられたる事は、今尚ほ耳朶に残るところなるが、表面は事実不明と発表して数名の関係者を行政処分に附し、曖昧裏に本件を始末し去ると云ふは驚愕の至りなり。初めより其方針なれば意見の相違と云ふ外なきも、根本の違変を曝露するに至つては言語同断なり。殊に目下は極秘の取扱にて少数者間に止まるも、近来の経験にては「優諚問題の如き」早晩真相漏泄の恐れあり、其場合実に首相一人の面目に止まらざるを如何。>

<四月三日
 神武天皇祭に付参列。休憩中首相より満州重大問題に付ては調査も出来、村岡[長太郎・関東軍]司令官も出京したる処、其処置は陸軍部内にて始末する事に決定したり。本件に付輔弼の責任は固より陸軍大臣に有るも、其処置をするに当りては宮殿下、元帥等を始め能く部内を纏めたる上着手する様、陸相へ申含め置きたり。尚右に付ては外国への影響等を考慮する必要あることも指示し置けりとの内話あり。仍て小生は、夫れは陛下へ言上したるか反問したるに、已に陸相より申上済にて、自分拝謁の時も陸軍大臣より聞取りたりとの御言葉を拝したりとの返事なりし。 右の通りなるが、昨冬珍田伯と同席にて同問題にて縷々決心の程を聞きたる時とは根本に相違あり。当時の事は忘れたる如き態度なり。今更乍ら呆然自失と云ふの外なし。>


<五月六日 午前九時半駿河台に西公を訪ひ、満州問題に付陸相若しくは首相より本件を行政事務として内面的に処置し、然して一般には事実なしとして発表致度趣意を以て奏聞の場合には、責任を取るか云々の御反問を以て首相へ御答へ被遊度御思召被為在候哉に侍従長より側聞致すに付ては、予じめ考慮相成置度旨内談に及びたるに、公爵も事の重大なるを十分諒得せられたるが如く見受けたるが、果して右様の事実実現して御下問を拝する場合に於ては、御差止めを御願ひする理由は無之様思考すとの意向を述べられたり。尚云はるヽには、但し為めに政変等の起る事も予想せらるヽところ、此れは政治上有り勝ちの事にして左程心配の事にあらざるべきも、大元帥陛下と軍隊の関係上、内閣引責後本件を如何に処置すべきや、此点は実に重大事柄なるを以て聖徳に累の及ばざる様善後の処置を予じめ考慮し置くべき必要あるべしとの気附きを述べられたるが、此れは尤もの事にして是非研究なし置く事大切なるは同感なり。現当局者には種々行き掛りの結果行詰まりの姿に陥りたるところ、当局者に変動ある場合には、後継者は全く白紙にて本件に臨む分けなれば、心配の点に付ても仕易き事情の下に処理する事と相成るべく、何れにしても政変ありとすれば後継内閣の引受けとなる次第なるべく考へたるに付、此意味は内話し置けり。西公も此点は認められたるが如く感ぜり。>

<五月九日
(前略)首相より前日面会したしとの要求あり。仍て本日侍従長同席にて官房にて面会す。談件は満州重大問題なり。 首相陳述に、陸相よりの内話に調査は済みたるが公然の報告に先立ち内密に前以て承知置かれ度、乃部内関係各方面の報告は結局陸軍部内が事件に関係したる事実存在せずとの内容に帰する次第なり。但、警備上の点は責任を免れざるに付此点に付ては行政処分に依り処置する積なりとの趣旨を申出でたり。之に対し自分は(首相)、陸軍より本件に対する上申ある場合には其内容如何に拘はらず、其が為め起る事あるべき外交上、政治上の責任は自分に於て全然荷ふ事は固より覚悟するところなり。此点に付ては毫も気遣はるヽに及ばず、只特に此際慎重に考慮あり度は、本件に関し先きに聖上に言上したる事と今奏聞する事と其事実に於て相違ある様の事ありては、如何なる御下問等ありて容易ならざる事体を引き起さヾるとも限らず、大元帥陛下直属の陸隊[ママ]内に累を来す事は実に恐多き事なれば、是れは返へすがえす、丁重に加慮あり度、然して兼ねても注意したる通り元帥、参議官等とも能く諒解を遂げ、此間に意志の疎通を欠く様の事ありては面白からざるに付、此点も入念あり度申添へたり云々なり。以上の内話は固より聞取りに止め置きたり。>


<首相は前記通り上奏の内容が前後相違する事は恐多き、容易ならざる次第を入念陸相へ注意したりとの事なるが、陸相より首相へ内報の如く調査結果事実なしとの報告に基き上奏するに至らば、前後相違の事は極はめて判明の事なれば、何とか改め度希望を申入れたるに均しきものと云ふ可く、然かも此事を以て陸相を攻むる如き口気を洩したるが、尚進んで考ふるに本件に関し最も熱心に主動者となり、根本的に陸軍部内の積弊を今回の出来事を機として糺さんと決心したるものは首相其人なり。恰も調査の結果、事実も相当証跡挙がりたれば愈々軍法会議まで設けて合法的に之を処置する態度を取り、其決心の下に然かも自から誠意を披瀝して聖聞に達し、陛下は其後本件に関し度々進行の経過に付御下問あらせられ来りたる行掛りあるに拘はらず、自分の事は圏外にある如き態度を以て頻りに陸相に注意する事は、異様の感なき能はず。陸軍の報告、前後の間に余り懸隔なき様修正せしめ、自然自分の立場を改善せんとの底意ならんかとも推察し得るところなるが、去るにても昨今の如く首相、陸軍間の悪化せる関係に顧みるときは、首相の心事を卑劣視して誠意を以て迎へるや否や甚だ疑はしく見受けらる。 前段首相と会談の内容は行掛りもある事なれば、西公を往訪して含みまでに開陳し置きたるが、兎に角暫く成行を視る事に打合はせ置きたり。>


<五月十三日
(前略)侍従長陸相よりの内告に、愈々陸軍の関係方面よりの報告に基きたる内閣への申請は「調査の結果部内の者の之に干与したる事実を確認せず、正し警備上の責任は行政処分に依り之を処置す」との趣旨に決定したりとの事にて、此事を内大臣へも内話し呉れとの事なりし由にて、侍従長態々来邸、其趣の陳述あり。>

<五月十四日
(前略)尚ほ満州重大事件に付ては、前日陸相より侍従長への内告の事情に付考察するに、趨勢愈々穏当ならず、危機迫るを痛感したるに付、重ねて侍従長を内談し置き[度き]廉あり。面会を希望したるに、午後来邸あり。先方にても用件出来たりとの事なりし。乃昨日帰途陸相官邸前を通り掛りたれば一寸立寄り面会して、昨日内話のことは内府へも伝へ置きたりと述べたるに、彼れは其後の経過を語り、乃陸軍部内決定の申請書内容を首相へ話したるに、首相は未だ関東長官[木下謙次郎]よりの報告なし。然して本件は此方面共一致を要するを以て、其提出を待つべし、出揃ひたる上内閣にて更に文案を作成して内大臣の一件を請ふ積りなりと答へたる趣を、陸相侍従長へ談及したる由なり。前日まで承知したるところと多少変化あるを以て聞置き呉れとの事なり。以上聴取の後、小生曰く、事件の処置振りは暫く別問題として、前後の内奏相容れざる事ありては聖明を蔽ふ事となり、最高輔弼者として特に其責任を免がれず、実に容易ならざる場面に瀕しつヽあるが如し。側近に居るものヽ看過するに忍びざるところなり。先般侍従長が御内意を洩れ伺ひたる事ありたるが、牧野は聖慮のあるところ御尤もと存上げ奉る次第なれば折を以て其趣を上聞に達せられ度依頼せり。侍従長も全く同感なりと云へり。
 侍従長は両日来のことを西公へ報告すべく往訪の筈なれば、公にも小生の所感を伝致方依嘱す。>

<五月十九日 吉田次官来訪。(中略)満州問題に付ては、首相は最初断然たる態度にて軍部の弊害一掃の決心にて起ちたるも、中途各種の故障に逢ひ、終に陸軍部内の問題として始末し、警備丈けの責任を徐々と明にする事に帰着したるが如し。此れは最近陸軍次官の申聞けなりと云へり。右に付首相も同意したるかを問ひたるに、多分左様ならんと答へたるが、過日来の形行に照らす時は未だ確定には到らざるものと推測す。発表の時期に対する小生の質問に付ては、次官は御出発前迄に陸軍側は予定し居る旨返事したる由。
五月二十一日
(前略)過日重大事件に付小生の申し述べたる意見は侍従長内聞として申上げたる由承知す。>

<五月二十六日
(前略)原田男入来。内話の要点(満州重大問題に関し) 一、首相、陸相の間益々悪感増長、陸相は今日行詰まりの原因は最初首相が陸軍に断はりなしに単独にて事件に関する決心を内奏したるにありとの怨言を洩らしたる由。此一節より察する時は、陸相は首相最初本件に付内奏したる内容を承知し居るものと認め得べし。 一、数日前首相西公訪問の時、本件に付、国務大臣より上奏したる内容に付前後矛盾する如き事ありては、容易ならざる事体を引起すべきに付、注意ありて然るべき意味を話されたるが如し。之に対し首相は、本件に付ては殆んど閣僚の全部が陸軍とグルになり非認の態度を取り居りては困却し居る口気を発したる趣なり。 一、今日となりては首相側、陸軍側の間、折合の出来る適当なる発表案を見出す事不可能の状体にて、窮極の余り、已に陸相より大体言上お聞済みの事なれば、此度愈々発表を決行する場合に於ては改めて御裁可を申請するの形式を取らず、単に上聞する丈けの事に止めて公表すべしと意見行はれ、相当有力なりとの事なり。只此場合に於て何等聖慮の御顕はれなければ事済むべきも如何にあるべきか、此点に付論者は頗る憂色を表し居れり云々。 此節は実に容易ならざる心懸けにして輔弼の重任にあるものヽ真意とは首肯する事能はず。軽輩の事務官級の小役人の提議ならんか。>

<六月十三日 西公訪問、両問題に付会談。満州事件の事に付ては或は御下問あるも不被計を為念内話す。(後略)
六月二十一日 閑院宮邸に伺候。満州事件の前途如何なる事体を現出するも難計、仍て予じめ今後の事を慮ばかり今日までの成行を陳上し置きたり。殿下も本件に付ては首相、陸相の間に主張の相違あり、且つ首相の意見も前後著しき懸隔あり云々、御洩しありたり。>

<六月二十五日 侍従長、宮相等と要談す。首相は二十六日枢府会議に不戦条約通過の見込み立ちたるを以て、二十七日満州事件最後の処分を奏聞すとの内報あるを以て、事体極はめて重大なるに顧み、協議を遂げたり。此日ブラジル大使御陪食の席に於て、首相より小官へ翌日二十六日後一時半に面会したしとの申込あり。要件は矢張り満州事件なれば、愈々危機も迫りたる事とて、違算なき様考究、手筈する必要あり。依つて西公を訪ひ、首相の言上果して予想の如く聖明を蔽ひ奉る内容なるに於ては、兼て御思召通りの御言葉を被仰るヽも止むを得ざるべく、従而其影響等も覚悟せざる可からず、又其内容予測に相違する場合は御保留、御下問等の事も拝察し得る次第なるを以て、此の辺に付今日重ねて談合したり。然るに本件に付先きに承知したる事とは相違し、御言葉の点に付明治天皇御時代より未だ曾て其例なく、総理大臣の進退に直接関係すべしとて反対の意向を主張せられ、余りの意外に呆然自失の思をなし、驚愕を禁ずる能はず。固より事柄は此上もなく重大なるを以て、判断を誤まる如きは重責上許す可からざる事なるを以て、出来る丈け此辺も丁重に考慮を重ね、今日政局の大勢に顧み実に止むを得ずと決心し、先般予じめ公爵に内談し其参同を得たりと確信し、宮相、侍従長等へも内々洩らし来るに、今全く反対の態度に接したる次第にて困窮の場面に臨みたり。小生、西公の意見として先般の会見にて了解したるところを述べて其再考を望みたるに、頗る気の毒がられ、自分が臆病なり抔との言葉を洩らせられたるも、其意見は依然改まらず、小生は已に上聞云々まで陳述して窮地にあるを附言して退かざりしが、西公は侍従長へ親しく面会し、今一応君側の御模様を直聞して参考したしとの事なりし。>

<以上の行違は了解に苦しむところなるも、察するに先回本件を談合したる時は未だ今日程事体切迫し居らず、抽象的に聞かれたる結果、深く心底に徹し居らざる為めかとも推量するの外なし。尤も公爵の心事は固より一理ある事にて、参照すべき価値あるは無論にして、国家、皇室の万全を念としたるに出でたるは寸毫疑ふ余地なきも、小生の立場は、今日の政局は実際行詰まり居りて識者は殆んど異口同音に此上の現状維持を許さず。然かも満州問題に付ては聖明を蔽ひ奉る事実歴然として、世人其証跡を実見するに於ては、只事にては到底収まるべくもあらず。事に党弊深甚の現状にては国民は唯々至尊の御聡明に信頼し奉る一事を以て僅かに意を強くする有様なるに、其聖明を最高の輔弼者が傷つくる如き状体とならば、静平隠忍の識者と雖ども無為に看過する事能はざるべく、此辺に想到する時は明治御時代とは時勢の変遷同日の論にあらず、先例等の有無を詮索する場合にあらず、愈々の時機に聖慮の顕はるヽ事あるも止むを得ざる事と思考する次第なり。又今日の状勢にては為めに累を皇室に及ぼす如き心配は起こらざるのみならず、健全なる国論は難有く感佩するを信ずるなり。兎に角今日は結局の帰着を見ずして公爵邸を辞去したり。三十余年の交際なるが今日の如き不調を演じたるは未曾有の事なり。 二十七日首相よりの奏聞も差迫り居り、急速何とか協調の道を講じ置く必要あり。
第一に侍従長へ事実を打明け行違ひのありたる事を内話する為め来邸を請ひ、委曲を縷述せり。前記通り西公も侍従長へ面談を求められ居り、後刻往訪の由なり。>

<六月二十六日 本日は不戦条約本会議の日なり。午前九時半出仕。宮相と先づ会談したるに、昨夜駿河台より電話あり往訪したるに、西公小生との談議に付非常に心配せられ、宮相は法学者なれば陛下の御言葉云々に付意見を徴せられたるに付、日本今日の政状にては差支なしとの趣旨を結論として返事したる趣にて、西公は大体小生へ云はれたると同様の意向を述べられたる由なるも、余程意気込は緩和せられ居り、此上とも話し合の余地ある様に聞取りたりとの事なりし。侍従長も枢府会議開始前に会談に臨席したり。 政府は本日の会議は午前中に終結の予測なりしところ結了せず、午後更に続行、三時半過漸く散会。(中略)>

<首相より以上の事情により面会時刻を一時半より三時過ぎに延期したく申越しあり。 其時刻首相入来あり。明二十七日拝謁の上満州事件に付ての言上振りを聞置き呉れとの事にて、其扣を朗読せり。其趣旨は昨冬首相より非常の決心を以て根本的に(事実軍人が計画実行したる出来事なるに顧み)軍紀を糺し、内外に対し帝国軍隊の名誉を回復致すべき旨を親しく言上したる行掛りには一言も触るヽ事なく、単に本件を以て陸軍部内の事として、陸軍大臣よりの報告を基礎として警備上不行届の点を捕へ、其責任者を行政処分に附すとの内容に止まりたり。依つて小生は聞取りたる上、為念、陛下の御許諾を願ふ積りかと質問したるに、左にあらず、単に上聞に達するまでなりと明答せり。首相は進んで軍司令官[村岡長太郎]、関東庁長官[木下謙次郎]等の報告をも読み聞かせたるが、此等は附属の問題なるを以て其儘に聞流し置き分れたり。此間侍従長も同席し中途所用ありて退席せり。 侍従長は西公を往訪の兼約もありたれば、前段の言上振りは内報する事に申合はせたり。 折柄宮相も来会せるを以て右言上の内容に付各々所感を話合ひたるが、総べてが見得過ぎたる弥縫、作り事なるは一同所感なりし。昨二十五日侍従長拝謁したる折、本件の取扱ひ振りに付ては余程御不満の御気色、御言葉を伺ひたる由。彼是綜合観察するに、円満に落着する事は最早絶望ならんと思考せり。 前記の通り侍従長は西公を訪ひ、首相の言上内容を聞き、小生との行違の点につき頗る関心せられたる事とて非常に安堵せられ、二十七日首相言上の事に付何等行掛りなく新たなる成行として考慮し得べしとて大に悦ばれたる趣なり。>


<六月二十七日 首相一時半拝謁。愈々前日の内聞を言上して退出したり。続いて御召しあり。今田中が満州事件に付上奏があつたが、夫れは前とは変はつて居ると云ひたるに、誠に恐懼致しますと二度程繰り返へし云ひ分けをせんとしたるに付、其必要なしと打切りたるに、本件に付ては其儘にして他に及べりとの御仰せなり。右謹んで拝承し御前を退きたり。 首相扣へ室にて侍従長と会談し、憂色を帯び拝謁の不始末を洩らし、陸相よりの言上不十分なりし為め陛下の御納得を得ざりしを遺憾とする口気を発し、陸軍側に責任あるやの意向を述べて辞去したる由。尚御下問の次第もありたるが、何れ陸軍大臣より行政処分に関する言上もあるべく、其上聖慮被為在度奉答す。>


<六月二十八日 昨夜陸相侍従長の許に来訪して本日拝謁の事を語り、総理は矢張り先きに陸軍大臣の言上が不十分なりしため御聞き済みを得ざりし如く不足らしく談示したる事を述べたるを以て、侍従長、夫れは田中総理の誤解なり、陸軍の問題にあらず、本件に関する田中の前後に於ける態度の豹変、其れに付是迄一回も止むを得ざる事情を上聞したる事さへなく、突如陸軍の事として申上げたる事、又最近宮田[光雄]警視総監の進退に付、直ちに処分致しますと傷が附きますからすぐには致しませんと申上げ乍ら、内部の事情に迫られ手の腹を返へすが如く依願免官を内奏し、其外類似の事例重さなり来たり、陛下には固より寛容に御看過被遊たるも、満州問題は重大なる事件にて前後の事情余まり顕著なる杜撰さに叡慮の一端も洩れたる事なるべく、首相誤解ありとすれば之を解け置く可然と申聞けたるに、陸相は驚入り、本日の閣議前に漸く首相に面会の機会を得て、前夜侍従長の内話を告げたるに、首相軽く前日とは改まりたる調子にて、自分も或は然らんかと恐察し居りたり、今日他の理由にて辞表は取纏めあるを以て、総辞職の決心なりと断言したりとの事なり。
 お召しに付伺候したるに、陸軍大臣より行政処分関係人事の申出あり、陸軍大臣に付ては別に間然する点なし、ゆえに直に裁可したりと御仰せあり。此についても大御心のあるところ拝察するに難からず。>

伊藤隆・広瀬順皓編『牧野伸顕日記』(1990年、中央公論社)。