>日本統治後は各種産業が右肩上がりの伸びを示したので米などを輸出しても飢餓状態にはなりません。実際問題、人口もGDPも右肩上がりですから。

日本統治から朝鮮における米の生産高はいくらか増加しているにかかわらず、朝鮮内での消費量は絶対的に減少しており、一方、日本への輸出は、五〇万石から八七〇万石へとめざましく増加しており、とくに1931年以降は、全生産高の約半分が日本にはこぼれている。その結果、朝鮮人の一人当り消費量は、年間七斗八升(約一四〇リットル)から四斗一升(約七二リットル)へと半減しており、日本人一人当りの半分にもたりない。これが数字の語るところである。
 米騒動で表面化した日本国内における米の不足、米価の値上りを解消して「低米価・低賃金」政策を維持するうえで、安い朝鮮米の輸入が大いに役立ったことはたしかだが、米づくりに精をだした朝鮮人は、米がたべられなくなった。かれらには、満州(中国東北)から輸入された雑穀があてがわれた。朝鮮人は粟をくえ、である。「産米増殖計画」とは、実は「米とりあげ」政策であったのだ。日本人の指導による土地改良、農業技術の向上の成果を評価するためには、それが朝鮮人自身に何をもたらしたかを見る必要があるようです。