強制連行

昭和17年春より、一兵の私は中国山東省を中心に、中共軍の討伐に寧日なき日を送っておりました。正式の作戦の一つに、労務者確保作戦ともいえるものがありました。
 払暁集落を包囲し、農民を一網打尽にし、女性、老人、子どもをのぞき、残った男性全員を上級司令部へ引き渡しました。それが中国人強制連行となり、各地の鉱山で悲劇を生んだとは復員後初めて知りました。
 その作戦は、兵と兵の間隔十メートルぐらい、各人明かり(一升ビンの底をロウソクで焼き切り、逆さまにして中にPウソクを立てる)と石油缶、洗面器などを持ち、ガンガソたたきながら包囲網を縮め、アリの子一匹逃さじとの無情ですさまじいものでした。しかし当時の私たちは、戦争とはこういうもの、と簡単に考えていました。その後シベリア抑留。満四年の強制労働で幾分かは、それまでの償いをしたと考えています。我々は加害者でもあり、被害者でもあったのです。(昭和62年6月17日、朝日新聞投稿 山田一郎氏 )