強制連行被害者

>強制連行被害者は、まさに罪なくして囚われた奴隷ですね。

 パンツ一枚のドロンコ、外は小雪舞う初冬。どの顔も青ぶくれ、骨と皮のガリガリ人間。強制連行された朝鮮人工員のあわれな姿だった。「テメイラ怠けていると残業が待っているぞ」。ドスのきいた現場監督の怒号が飛ぶ。
 極秘とされたトンネル掘り、危険な所や難儀の仕事は彼らの担当であった。何もかも、宿舎から菜っ葉服に至るまで差別されていた。食事はカネの茶わんに朝は一汁一菜。昼食はほかに一品、これがあの重労働に耐えてゆく二食分である。なんで二食に分けて食えるか、昼食なしは当たり前。めしたるや大麦の赤皮かぶりが三分の一、今どきとても食えた代物ではない。
 昼は日だまりに肩寄せ、山の草をかみ、谷の水を求め、アリランを涙ながらに歌っていた。午後四時のおやつに目の色を変えて群がる。洗わず一斗缶でゆでた動物用のジャガイモ一個。つい人の分まで手を出して、ものすごいけんかが始まる。
 私も十九歳で軍属徴用され、鍛冶工としてこの現場を時々訪れる。無残なリンチ、娯楽は皆無。彼らは重労働に堪え、アイゴーと叫んで泣きながらトロ押しに精出していた。昭和十九年晩秋、青森県大湊の山の中、地下工場建設のツルハシ戦士だった。今でもあの人たちの顔が鮮明によみがえってくる。

昭和61年8月9日、新潟県の渋木さん59歳金物製版業の手記です。