ダレの朝鮮事情

朝鮮では金貨や銀貨が必要でなかったので、金鉱や銀鉱が豊富にあったが、政府としても開発をせんかったし、ほかの者にも採掘を許可しなかったのです。これは朝鮮の金銀よって外国人の関心を王国に引き付けないためと、国内的需要も存在せんかったからです。ところが外国人がやってきて、沢山の商品が流れ込んだのは、朝鮮の人々が政府の目を盗んで外国人に砂金を引き渡していたからです。金は内密に搬出され外人に特に日本人と取引される。子供らでもガラスの飾り物と引き換えに幾袋もの砂金を引き渡していたと言われております。実際中国人の自由民が朝鮮国内で朝鮮政府の許可なしに採掘しております。朝鮮政府は長いことこの不法行為を如何にやめさせるか頭を痛めておりました。度々にわたる中国当局者と交渉しております。埋蔵量の大きいと言われておる金鉱は、漢江から遠くない平康、大同江から遠くない平安道の金山ですが。その川沿いでは子供でも砂金が取れたそうです。

参考

フランス著名な地理学者ルクリュは下記のように述べています。

「金は、王国の各地において非常に豊富に産するが、労働者の監視が難しいという懸念から、また隣国の欲望を刺激しないためにも、金・銀とも、その採掘は厳禁とされている。青銅製品が日本から輸入されているにもかかわらず、朝鮮には鉛鉱山も銅山もふんだんにある。鉄に関して言えば、一山が丸々鉄でできた山々があり、大量に降る雨が極めて大量に鉄を洗い流すので、あとは地表から取り上げるだけである」

朝鮮に滞在したアメリカ人医師フランク・キーヴァンがワシントンの米国政府へ送った書簡の中で次のように記している。

「環太平洋金脈帯に属する国々の間で、朝鮮は第一位を占めており、全世界の金融的均衡を破るべく運命づけられている。その地質条件は、東海岸に貴金属が豊富に埋蔵されている、との推定を完璧に裏付けている」

 貧しさを生活必需品の不足と解釈するなら、漠江流域の住民は貧しくない。自分たちばかりか、朝鮮の慣習に従ってもてなしを求めてくる。だれもかれもを満たせるだけの生活必需品はある。負債はおそらく全員がかかえている。借金という重荷を背負っていない朝鮮人はまったくまれで、つまり彼らは絶対的に必要なもの以外の金銭や物資に貧窮しているのである。彼らは怠惰に見える。わたしも当時はそう思っていた。しかし彼らは働いても報酬が得られる保証のない制度のもとで暮らしているのであり、「稼いでいる」とうわさされた者、たとえそれが真銀の食器で食事をとれる程度であっても、ゆとりを得たという評判が流れた者は、強欲な官吏とその配下に目をつけられたり、近くの両班から借金を申しこまれたりするのがおちなのである。とはいえ、漠江流域の家々はかなり快適そうなたたずまいを見せていた。

山々に、金、銀そして銅の豊富な鉱脈があるというのは、本当らしい。多くの地方では、とくに北部諸道では、金を見つけるのに地面を少し掘るだけで十分であり、またある川の砂には砂金が含まれていると信じられている。しかし、鉱山の採掘は非常に厳しい罰則によって禁じられているため、だれも敢えて金を掘り出そうとはしない。それはまた、金を売り捌くことがほとんど不可能だからでもある。しかし、いったいこの禁令の其の理由は何であろうか? ある者は、近隣の大国の野望をくじくため、できるだけ貧弱な国に見せることが、朝鮮政府の長年にわたる一貫した方針だと言っている。またある者は、ソウルを遠く離れ、国家権力がほとんど及ばない地方に多数の労働者が集中しようものなら、間違いなく反乱や騒動が起こるということを憂慮しているからだ、と信じている。一八一一年の蜂起は、これら集団のひとつによって引き起こされたものといわれている。それはともかく、法令は厳重に守られており、唯一の周知の例外としては、25年前に数ヵ月間、道順興府〔現在の慶尚北遺栄川〕の銀鉱の採掘が許されたにすぎない。

ダレの朝鮮事情による。

「ときどき、コレラのような大災禍の発生したばあいには、人びとはより多くの供犠費用を調達するために、特別に醵金や義捐を行なう。また国王も、王自身の立場から、部分的あるいは全般的な大赦を発して、天の怒りが鎮まるよう努める。」

60年代にはフランス人何某やアメリカ人何某が朝鮮の奥地へ侵入して、そこから国王の棺を幾つか奪ったあげく、朝鮮人に対して柩の買い戻しを要求することを企てたのである。このような厚かましい行為を思いつくのは容易だが、そうは問屋が卸さなかった。そして勇敢なる掠奪者らは全く当然の報いとして、朝鮮国王の墓所に自らの骨を埋めることになった。ところで、これは結局、どのような結末を迎えたか。1866年、フランス艦隊が漢江へ侵入して、朝鮮人数百人を殺害した上で、首都の周辺を壊滅させた。これが結末である。同じことは、1871年アメリカ艦隊も行なった。この後に、朝鮮人が文明化した外国人に対して門戸を閉ざし、全面的に絶縁する決断を下しだのは、驚くべきことだろうか。
 朝鮮政府ならびに両班貴族は、かかる決断に少なからず賛同したはずである。統治者も彼の高級官吏も内心ではそれぞれに、朝鮮における中国文明の挫折を自覚していたものの、彼らの力と威光は同文明の腐敗した土台の上に立脚するからである。政府と貴族は、文明化した外国人の影響が否応もなく玉国に浸透することを危惧ぜざるをえず、朝鮮人の熟しやすい気質、感受性ならびに神経過敏をもってするならば、外人の影響は、権力者の権力と権威を失墜させかねないからである。