日本と中国は強国と接触して、中国はそれに十分有効に抵抗できず一年一年とより深くより強く欧米列強に従属させられ、侵略と分割を受けるにいたったが、日本は強国に従属しながらいち早く日本の隣邦にたいする侵略者としてあらわれ、後には極東における唯一の国になる。このような両国のその後の歴史の差は、何に基くものであろうか?

それは一概に言うのは難しいと思う。当時の国際情勢が列強の勢力均衡にあったことや、中国の進出において中国の頑固な抵抗が欧米列強に教訓を与えて、日本に対する進出の勢をそぎその政策をより穏和にならしめたこともあろうと思う。さらに小国で国内の政策の意思が統一されやすいことや、外来文化が受け入れながら生まれた日本の国民性も大きく作用したのでしょう。

当時の日本に対しては、イギリスは、それらを武力で征服し政治的に直接に支配する費用と手数をかけるよりも、その地域の勢力と妥協しながら、それとの関係をできるだけ経済的関係にとどめておく方が、そろばんが合いはしないかと考えた。