大陸前進兵姑基地

朝鮮人徴用の公式記録や関係文書は、敗戦直後に内務次官通牒にもとづき、全国道府県知事の極秘緊急命令書が各警察署長宛に送達されて、完全な廃棄焼却処分が行なわれたのです。よって日本政府の朝鮮人徴用の実態は、公式には記録が無くなり、その事実が日本の歴史から抹消されました。

第一は帝国の大陸前進兵姑基地としての朝鮮の使命を明確に把握することであります。現事変に於て我が朝鮮は、対支作戦軍に対して食糧、雑貨等相当量の軍需物資を供出し幾分の効果を呈し得たのであります。併しながら此の程度にては猶は心細く将来更に大いなる事態に面した時には、仮に或る期間大陸作戦軍に対して内地よりの海上輸送路を遮断さるる場合ありとするも、朝鮮の能力のみを以て之を補充し得る程度までに、朝鮮産業分野を多角化し、特に軍需工業の育成に力点を置いて万全を期する必要があること、之がその内容であります。即ち、今より将来に亙って東亜に動く情勢を予見するとき、一切の綜合された諸条件は此の国策の必然と可能とを指しているのであります。農工併進は私の五大政綱の一とする所であるが、之が意味は漫然たる概念でなくして、時局に即応し朝鮮の責務を最大限に果さんとする意図に外ならぬことを諒解されたいのであります。


これは1938年9月の第一回各遺産業部長会議における商総督の訓示です。朝鮮産業政策の根本指針は我国の大陸侵攻のための朝鮮に食料と工業と軍事基地と作るということです。つまり朝鮮産業政策の根本方針として「大陸兵站基地」であったのです。もともと朝鮮の鉄道は、はじめから軍事上の目的からできたもので、たとえば朝鮮を縦貫する幹線であるソウル・釜山間の京釜線、ソウル・新義州間の京義線の両線が、日露戦争の必要から戦争中に強行的に建設され、また、ロシア革命後は、鉄道の建設が北朝鮮を中心に行なわれ、同時に、羅津、雄基、清津北朝鮮三港が完成し、当時の日本は輸出できるほど資本は過剰ではなかったが、日本国内不況から労賃の安く工場法が施行されておらず、未成年労働者が多かったので、日本資本には魅力であったのです。そこで多くの工場が朝鮮うつされ、日本が大陸侵攻にのりだす大陸兵站基地として、産業が促進された。

参考

兵站基地」というのはもともと軍の戦略用語である。戦争の勝敗を決する重大な一要件が前線補給の確保にあることは昔も今も変りないが、そのためには戦場にもっとも近く、しかもその基地自体として自活しつつ同時に前線への補給をも確保しうる、というところが兵站基地としてもっとも理想的であろう。その意味で半島朝鮮が大陸兵站基地とよばれること、故あるかなといわねばならぬ。・・満州事変がその決意を促した一の契機とすれば、支那事変こそは兵站基地朝鮮の性格と使命を明確に決定した歴史的一頁であった。(朝鮮総督府情報課『新しき朝鮮』)

 抑々「大陸前進兵站基地」としての朝鮮の使命は、大陸の一角たるこの朝鮮半島に、「第二の内地」「内地の大陸的分身」或は「内地経済の前衛」とも云うべき各種産業の高度に発達した産業圏を形成し、一朝有事の際における大陸経済圏の自立を賄い得る産業的拠点を構築せんとすることにある。[中略]思想及び治安の状態において、産業発達の程度において、動力及び労力(国語を解し得る)において、三面海を繞らし、港湾に富める点において、大陸圏中、朝鮮を最も兵站基地の適地たらしめるのである。(東洋経済新報特輯『年刊朝鮮』1942年版)

南総督は下記のように朝鮮産業政策の根本指針としての「大陸前進兵姑基地としての朝鮮の使命を明確に把握することであります」と述べている。

参考

第一は帝国の大陸前進兵姑基地としての朝鮮の使命を明確に把握することであります。現事変に於て我が朝鮮は、対支作戦軍に対して食糧、雑貨等相当量の軍需物資を供出し幾分の効果を呈し得たのであります。併しながら此の程度にては猶は心細く将来更に大いなる事態に面した時には、仮に或る期間大陸作戦軍に対して内地よりの海上輸送路を遮断さるる場合ありとするも、朝鮮の能力のみを以て之を補充し得る程度までに、朝鮮産業分野を多角化し、特に軍需工業の育成に力点を置いて万全を期する必要があること、之がその内容であります。即ち、今より将来に亙って東亜に動く情勢を予見するとき、一切の綜合された諸条件は此の国策の必然と可能とを指しているのであります。農工併進は私の五大政綱の一とする所であるが、之が意味は漫然たる概念でなくして、時局に即応し朝鮮の責務を最大限に果さんとする意図に外ならぬことを諒解されたいのであります。