太平洋戦争に於いて、日本軍はアメリカ合衆国に沖縄を占領されたあとも降伏せず、何故、徹底交戦の構えを見せたのでしょうか。 日本軍はアメリカ合衆国には勝ち目は当然無かったとは思いますし、まさかとは思いますが、本土決戦をも覚悟していた軍部に何か勝利の採算でもあったのですか。それとも日本民族自決の覚悟の方針で徹底交戦を主張していたのですか。


沖縄を占領されたあとも,政府が降状を受け入れなかった理由は非常に分かりやすいです。
ポツダム宣言では、連合国は日本人を民族として奴隷化したり、国家として破壊する意志はないことをうたっている。そして、言論、宗教、思想の自由を、人間の基本人権と同様に尊重させるようにする、と言明している。また日本を支配して来た無貴任な軍国主義が、完全に一掃せられる時は、日本に経済を支える工業を維持し、国民に平和な生産的な生活を営ませることを許可すると保証を与えています。ポツダム宣言は日本が降伏する上において国民にとってはもってこいの条件であったのです。ところが、国民にはポツダム宣言を改竄して知らしめています。

ポツダム宣言が外務省で短波受信された翌28日、戦争推進に都合の悪いものは削除されたり、改竄して各新聞紙上に発表されます。ところがそれにもかかわらず加瀬俊一氏は当時の状況を、次のように書き記している。
「一般の感想は、予期よりも遥かに寛大な条件であるということだった。国民は戦争に疲労し、軍部に不満であったから、宣言を密かに支持し始めた。この宣言受諾によって、祖国が全滅から免れ、国民が軍部の圧政から解放され、直ちに平和と生活が回復されるのならば、このくらいの代価は己むを得ないではないか」 (加瀬俊一ミズリー号への道程)

アメリカからのポツダム宣言の原文を見る限り、復讐的なものから遥かに離れて日本が降伏する上において、決してそんなにきつい条件ではなかったのです。

日本が降伏を拒んだ理由はポツダム宣言十条にあります。ポツダム宣言十条「われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようと する意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人 に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的 傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想 の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならな い」のなかにあった「われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える」一文があったからです。もちろんこの十条も国民に対して改竄して知らしめています
どうせ処罰されるなら最後まで戦う、ということが本音で、「国体の護持」は降伏をしない名目であったのです。なぜなら、すべて(天皇、国家、国民)を道連れする決意でなければ本土決戦はできやせんからです。それに御前会議では「降伏」の言葉は使えなかったからね!一方戦争終結を望んでいた人々も「国体の護持」それを主張するための名目だったのです。

加瀬俊一は次のように述べている。「独断専行の軍部は依然として国家の運命を勝手に操っていた。彼らは闘争をあきらめるという考え方を一瞬たりとも抱こうとせず、そんな考えを頑強に拒んだ。しかし彼らの信念ととも、急速に崩れ去りつつあることは誰の目にも明らかだった。ドイツは脱落した。…・戦争継続がまったく無駄なことはもはや常識だった。にもかかわらず軍は継続を欲した。軍の立場はまさに絶望的だった。‥‥敗北が目前に迫りながら軍部指導者は狂気のように国民を最後の戦いに奮起するようあおり立てた。どうせ自ら滅びるならば、国民をもその道連れにしようとしたのだ」

それではどうして降伏することに決定したかといえば、次のような事情があったからです。
8月14日の日の出の後間もなく、米国磯はパンフレットを東京に投下しました。このパンフレットには今までの経過が印刷されていて、日本国民は、政府が隠していたことを知ったのです。この日ことを木戸は、次のように述べています。
「私の補佐官がバーンズの出したパンフレットの一枚を拾ったと言って私のところに持って来た時、私は起こされたばかりで、朝食を済ましていなかった。このパンフレットは東京一帯にばらまかれ、その一部は宮城の中の庭にも落ちた。情勢は重大であった。軍人は降伏計画について何も知らなかった。彼等がそのパンフレットを見たら何が起こるか分らないと思った。この状況に驚いた私は宮城に急行し、天皇に拝謁を仰せつかった。8時30分頃であった。私は天皇に首相を謁見せられるよう奏請した……」
天皇は早速事態の急を知り、鈴木に伺候するよう命じた。首相は木戸が天皇に拝謁している間に、宮城に到着していた。木戸は鈴木に状況を説明し、最高戦争指導会議を開く準備があるかどうか尋ねた。
木戸は、「……首相は垂高戦争指導会議を開くことは不可能である。それは陸海軍の両方が降伏について考慮する時間をもっとくれと要求しているからであると答えた。ここで、私は首相に緊急処置を講じなければならないと言った。私は戦争を終結に導くため、閣僚と最高戦争指導会議の合同会議を開くことを提案した。その後、首相と私は天皇のところに行き、そのような会議を命令されるよう奏請した。首相と内大臣が一緒に天皇に拝謁を賜ったのは始めてであった。このようなことはこれまでになかった」と述べている。そして天皇は全閣僚、枢府議長および最高戦争指導会議の全員に午前10時半に参内するように命じた。それに先立ち10時20分天皇杉山元・畑俊六・永野修身の三元帥を召致し、「皇室の安泰は敵側に於て確約しあり…・大丈夫なり」と述べ、回答受諾について「元帥も協力せよ」と命令した。天皇自身が召集する御前会議は午前11時50分頃から宮中の防空壕で開催され降伏が決定されます。

日本が8月14日の天皇の命令が行われるまで、戦争が終結しなかった理由は、戦争犯罪人の処罰も日本側で行うという、武装解除は日本側で自主的に行う、保障占領は行わないという条件を主張していたからです。一般的に「一撃を加えてより有利な条件を引き出す」ためだと言うておる「有利な条件」とはこの条件のことです。この中で「戦争犯罪人の処罰も日本側で行う」ということが、天皇も最後の最後まで拘っていたからこそ、この日まで戦争の終結をみなかったのです。

参考
なお木戸に突っ込んで、一体陛下の思召はどうかと聞いたところ、従来は、全面的武装解除と責任者の処罰は絶対に譲れぬ、それをやるようなら最後迄戦うとの御言葉で、武装解除をやれば蘇連が出てくるとの御意見であった。
そこで陛下の御気持を緩和するのに永くかかった次第であるが、最近(5月5日の2,3日前)御気持ちが変った。二つの問題もやむを得ぬとのお気持になられた。のみならず今度は、逆に早いほうが良いではないかとの御考えにさえなられた。
早くといっても時機があるが、結局は御決断を願う時機が近い内にあると思う、との木戸の話である。

高木惣吉『高木海軍少佐覚え書』


なお、終戦に手間取るあいだにも国民の犠牲は増え続けていたのです。14日から15日早暁にかけてB29二五〇機が七都市を焼夷弾攻撃し、高崎、熊谷などが全焼して数千名が死傷します。

天皇や木戸らは、国民が真実を知ることにより「民心の悪化」を恐れ、アメリカではなく国民に対して「国体」の危機を感じとっていたのでしょう。
ポツダム宣言原文(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)

一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ

二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ

三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全
ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ

四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ

吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス

六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス

七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ

十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ

十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ

十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ

十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)



現代語訳
一  われら合衆国大統領、中華民国政府主席及びグレート・ブリテン国総理大臣は、 われらの数億の国民を代表して協議の上、日本国に対して、今次の戦争を終結する機会を 与えることで意見が一致した。

二  合衆国、英帝国及び中華民国の巨大な陸、海、空軍は、西方より自国の陸軍及び空軍 による数倍の増強を受け、日本国に対し最後的打撃を加える態勢を整えた。 この軍事力は、日本国が抵抗を終止するまで、日本国に対し戦争を遂行しているすべての 連合国の決意により支持され、かつ鼓舞されているものである。

三  世界の奮起している自由な人民の力に対する、ドイツ国の無益かつ無意義な抵抗の結果は、 日本国国民に対する先例を極めて明白に示すものである。現在、日本国に対し集結しつつある 力は、抵抗するナチスに対して適用された場合において、全ドイツ国人民の土地、産業及び 生活様式を必然的に荒廃に帰させる力に比べて、測り知れない程度に強大なものである。われらの決意に支持されたわれらの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全な 壊滅を意味し、また同様に、必然的に日本国本土の完全な破滅を意 味する。

四  無分別な打算により日本帝国を滅亡の淵に陥れた、わがままな軍国主義的助言者により、 日本国が引き続き統御されるか、又は理性の経路を日本国がふむべきかを、 日本国が決定する時期は、到来した。

五  われらの条件は、以下のとおりである。 われらは、右の条件より離脱することはない。 右に代わる条件は存在しない。われらは、遅延を認めない。

六  われらは、無責任な軍国主義が世界より駆逐されるまでは、平和、安全及に正義の 新秩序が生じえないことを主張することによって、日本国国民を欺瞞し、これによって世界征服をしようとした過誤を犯した者の権力及び勢力は、永久に除去されなければならない。

七  このような新秩序が建設され、かつ日本国の戦争遂行能力が破砕されたという確証が あるまでは、連合国の指定する日本国領域内の諸地点は、われらがここに指示する基本的 目的の達成を確保するため、占領される。

八  カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び 四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される。

九  日本国軍隊は、完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、 平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる。

十  われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようと する意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人 に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的 傾向の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想 の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならな い。

十一  日本国は、その経済を支持し、かつ公正な実物賠償の取立を可能にするような 産業を維持することを許される。ただし、日本国が戦争のために再軍備をすることが できるような産業は、この限りではない。この目的のため、原料の入手 (その支配とはこれを区別する。)は許可される。日本国は、将来、世界貿易関係への 参加を許される。

十二  前記の諸目的が達成され、かつ日本国国民が自由に表明する意思に従って平和的 傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立されたときには、連合国の占領軍は、 直ちに日本国より撤収する。

十三  われらは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、 かつこの行動における同政府の誠意について適当かつ充分な保障を提供することを 同政府に対し要求する。これ以外の日本国の選択には、迅速かつ完全な壊滅があるだけである。

民族として奴隷化しまたは国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ず……」と述べたくだりと、「日本国軍隊は‥各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的生活を営むの機会を得しめらるべし」との字句を削除して、政府が発表します。

当時国民に発表した新聞の記事
《【チューリッヒ二十六日発同盟】米大統領トルーマン、英首相チャーチルおよび蒋介石は二十五日ポツダムより連名で日本に課すべき降伏の最後条件なるものを放送した。その条件の要旨は次の如くである。

    ◇

以下の各条項はわれわれの課すべき降伏の条件である。われわれはこの条件を固守するもので、他に選択の余地はない。われわれは今や猶予することはない

一、世界征服を企てるに至った者の権威と勢力は永久に※除せらるること、軍国主義を駆逐すること

一、日本領土中連合国により指定せられる地点はわれわれの目的達成確保のため占領せらるること

一、カイロ宣言の条項は実施せらるべく日本の主権は本州、北海道、九州、四国およびわれわれの決定すべき小島嶼に限定せられること

一、日本兵力は完全に武装解除せられること

一、戦争犯罪人は厳重に裁判せられること、日本政府は日本国民に民主主義的傾向を復活すること、日本政府は言論、宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重を確立すべきこと

一、日本に留保を許さるべき産業は日本の経済を維持し、かつ物による賠償を※※ひ得しむるものに限られ、戦争のための再軍備を可能ならしめる如き産業は許さぬこと、この目的のため原料の入手は許可せられること、世界貿易関係に対する日本の参加は何れ許さるべきこと

一、連合国の占領兵力は以上の目的が達成され かつ日本国民の自由に表明されたる意思に基く平和的傾向を有する責任政府の樹立を見たる場合は撤退せられること

一、日本政府は即刻全日本兵力の無条件降伏に署名なし、かつ適切なる保障をなすこと、然らざるにおいては直ちに徹底的破壊を※すべきこと

政府は黙殺

なお、このくだりは、L.モズレーは「天皇ヒロヒト」で次のように記している。

連合国側としては原爆投下が効果を持たないようなら、さらに事実を知らせれば効果があらわれるのではないかと考えていたようだ。そして連合国側は、原爆の代わりにこんどはパンフレットを使うことに決定した(それは恐らく、当時、原爆がもはや一発も残っていなかったためだった)。
 「昭和二十年八月十四日朝、私が起床した時、侍従の一人が宣伝ビラを持って来た。それには日本語で、連合国側の条件が書かれていた」
 木戸内府は書いている。
「ビラは敵飛行機が散布したものだった。それを表して、これは実に容易ならぬ事態になりつつあると直感した。ここ二、三日、軍部は(陸、海軍ともに)次第に態度を硬化してきていた。軍の反対のため、最高政争指導会議の招集も延び延びにされていた。もしこれらのビラを全国の陣地に居る将兵が見る時は、憤激するのは当然にして、その結果は大混乱となり、収拾すべからざる状態となるは必然であると思われた」
 木戸内府は直ちに天皇に拝謁を求め、間もなく御文庫に適された。天皇は思いに沈んでいる様子で、玄米の朝食をとっておられた。時に午前八時三十分であった。
「私は天皇に断固ど決意を変えられないよう言上し、また最高戦争指導会議員連合の御前会議の御招集を願い、一気に戦争終結の大命をお願いした。その結果、天皇は状況を十分掌握され、私に鈴木首相と共に手続をするよう仰せ出された」
 木戸内府はすでに天かける日本の平和の使者であった。木戸はすぐ鈴木首相に会うため御前を辞したが、ちょぅどその時鈴木首相が宮城に参内してきた。木戸は鈴木にいつ最高戦争指導会議が開かれるのかと尋ねた。
それを聞かれて鈴木首相の顔には苦しげな表情が浮かんだ。そして答えた。「私はいま苦慮している。陸軍は午後一時まで待ってくれとのことであるが、海軍は何時ならできるともいって来ない」
 木戸内府はもはや鈴木首相のこの不決断、いい逃れ、延引、憂慮癖にはうんざりしていた。そして米側のビラを見たのかと鋭く問いただした。鈴木首相はもちろんまだそれを読んでいなかった。木戸はいった。
「敵飛行機は連合国の回答をビラにして全国に散布しつつある。もしこれらのビラが全国の将兵の手に入り、その憤激を招けば、その結果は大混乱となり、収拾すべからざる状態になるのは必然である。私は天皇に事態が一刻の猶予も許されぬことを言上し、最高戦争指導会議員連合の御前会議を召集され、連合国回答の即時受諾と平和の招来をさとされるよう、お願い申し上げた。天皇は全く私の考えと同じお考えで、私に首相と協議するよう仰せ出された。もし貴下に異存がなければ、その日的のため手続を始めようではないか」
 鈴木首相はためらい、うろたえ、深く溜息をついて、いった。
 「私は天皇ご自身の口から、そのことを開きたいと思う」
 首相は結局最後には、木戸内府の意見に同意した。(P315〜P316)