日本が結んだ通商条約

日本が結んだ通商条約がなぜ「不平等条約」なのか

一般的には外国側に領事裁判権最恵国待遇がみとめられ、また日本には関税自主権がないなどと不平等な規定を含んでいたからです。しかし、治外法権というのは外国人が好き勝手にできるのではなく、外国政府の法律や行政権は、すべての外国人にかんして日本国内で十分な効力をもっており、日本の法律に十分にとって代わり、平和の維持と犯罪の抑圧のために適切な措置を講ずるということになっています。つまり、治外法権というのは、日本の法律から免じられているということだけで、政治的・経済的に不利益をしいられたかというと、かならずしもそうではなく、幕府も、そして明治政府も条約適用にあたっては、はるかにしたたかだったようです。いずれにしても「不平等」条約の実際の機能がどのようなものであったにしても、列国との法的対等関係をもとめるかぎり、明治日本にとって条約改正は外交政策の課題となった。

この問いは、「不平等条約」と「急速な近代化が目指され」た因果関係を求めている問いだと思うが、あまり関係がないと思う。なぜなら、維新を達成した人々は外国条約などの事は少しも分からない人達です。もとりより外国条約などは、研究したこともなければ、意見もなかったのです。だから条約改正の草稿などを示されても、元勲はこれを持ち帰って自分の書記官に示し意見を尋ねるが、これらの書記官等は地位を作るのに汲々たる輩であったので、何か意見を呈せざれば、働きなきがごとく思われるのを恐れて、アカデミカルな論を持ちだすと、元勲らはこれを見る学識がなく、直ちにこれをもって自己の論として主張するのが常であったのです。だから、治外法権が撤廃されるのはようやく明治32年のことで、関税自主権の完全な回復は明治44年をまたなければならなかったのです。